●山崎闇斎 やまざきあんさい
アジア 日本 AD1618 江戸時代
1618〜1682(元和4〜天和2)江戸初期の儒学者。諱は嘉,字は敬義,通称は嘉右衛門,闇斎は号,別号は垂加。父清兵衛は針医,母は佐久間氏,2男2女を産み,闇斎は末子。闇斎の妻は鴨脚氏。京都で生まれ,幼いころ比叡山に入り,ついで妙心寺に移って僧となる。19歳のころ土佐の吸江寺に移り,野中兼山らと交わり,朱子学を学ぶ。1642年(寛永19),還俗して朱子学に専心。闇斎は朱子を尊崇して,その著作の多くが,朱子や朱子の先学,あるいは朱子学者などの書物の引用文から成り立つ。しかし,1655年(明暦1)はじめて京都で朱子学を講じたが,同年すでに『伊勢神宮儀式序』を著すなど,神道への関心もはやくから認められる。本格的な神道研究は,1665年(寛文5)以降,会津藩主保科正之の賓師に迎えられて,吉川惟足と交流するようになってからである。垂加神道は,闇斎独自の神道説で,天地・陰陽・人道の根源はすべて土金の訓に備わるという。これは朱子の理気説とまったく異なるものである。さらに闇斎は天照大神による天上支配と,素戔鳴尊による天下支配という二つの支配様式を設定し,前者の子孫である天皇を尊重しながらも,後者の系譜を引く将軍の全国支配を正当化した。門人には,佐藤直方・浅見絅斎・三宅尚斎ら多くの俊才がいる。主著には,『文会筆録』『闢異』などがある。
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