●山川均 やまかわひとし
アジア 日本 AD1880 明治時代
1880〜1958(明治13〜昭和33)明治・大正・昭和の社会主義理論家。岡山県倉敷に生まれ,1895年(明治28),同志社大学に入学し,1897年(明治30)の学制改革に反対して退学した。その後上京して,1900年(明治30),守田有秋と雑誌「青年の福音」を刊行するが,『人生の大惨劇』は不敬罪に問われた。1906年(明治39),堺利彦・西川光二郎らによる社会党に入党,翌年解散させられると堺利彦・幸徳秋水らと社会主義の宣伝に参加し,1908年(明治41)1月,検挙され,5月には赤旗事件で入獄,そこで大逆事件を知った。1916年(大正5),再び上京して,売文社に入り雑誌「新社会」の編集に参加する。1922年(大正11),日本共産党の創立に参加し,『無産階級運動の方向転換』を発表,大衆との結合を説いた。1927年(昭和2),共産党を離れ,労農派の中心的理論派として活躍。戦後は,日本社会党左派の理論的指導者として活躍した。
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