●山県大弐 やまがただいに
アジア 日本 AD1725 江戸時代
1725〜1767(享保10〜明和4)江戸中期の儒学・兵学者。尊王論者として知られる。名は昌貞(まささだ),柳荘・洞斎と号す。大弐は通称。甲斐国巨摩(こま)郡篠原村竜王に生まれ,甲府の与力村瀬氏を嗣いだが,のち生家に復し医を業とした。山王権現の神官加賀美桜塢(おうう)に師事し,儒学を修め,兵学,天文地理などにも通じたが,尊王論の感化を受けた。1756年(宝暦6),江戸に出,八丁堀に塾を開いて儒学を講じ兵法を論じ,多数の門人を集めた。1759年(宝暦9),『柳子新論』を著して,〈天に二日なく,民に二王なし。忠臣は二君に仕えず〉と尊王論を説き,〈賄路の俗,朝野に公に行わる〉など幕政を批判した。上野小幡藩織田家の家老吉田玄蕃と交遊があったが,玄蕃の対立者から大弐の兵学は幕府転覆を謀るものと讒訴され,1766年(明和3),同志の藤井右門とともに捕えられ,処刑された。いわゆる“明和事件”である。
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