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●山県有朋 やまがたありとも

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 1838〜1922(天保9〜大正11) 長州藩下級土族出身。明治維新後,陸軍の整備を推進し大久保利通没後は伊藤博文とともに天皇制国家の軍事的官僚的性格を代表する。山県は長州藩奇兵隊軍監としての経験から徴兵令(1873)を制定し,さらに軍人勅諭(1882)の制定によって天皇制軍隊を成立せしめた。山県は「隣邦兵備略」(1880)において対外軍事発動と軍事機構の拡充を国策の中心に据えることを主張し朝鮮事件(1882)を契機として軍拡を基本国策として軌道づける。第一次山県内閣における「主権線」「利益線」(1889)の主張,日清戦後の「利益線の開帳」(1895)の主張へと山県の軍拡方針は展開する。他方,山県は第2次山県内閣における文官任用令の改正,文官懲戒令・文官分限令の公布(1899)と軍部大臣の現役武官制制定(1900)によって制限的議会形態の下での軍事的官僚的専制支配を軌道づけた。

〔参考文献〕岡義武『山県有朋』1958,岩波新書

大山梓編『山県有朋意見書』1966,原書房

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