●柳沢吉保 やなぎさわよしやす
アジア 日本 AD1658 江戸時代
1658〜1714年(万治1〜正徳4)江戸前期の政治家。館林藩士柳沢安忠の子。初め保明といった。父の知行は160石、蔵米370俵。幼少から藩主徳川綱吉の小姓となる。1680年(延宝8)、5代将軍となった綱吉の小納戸役となり、翌年知行830石、1688年には禄高1.2万石の側用人となった。側用人の権力が老中を凌ぐのはこのとき以来である。1694年(元禄7)、川越藩7万石老中格、1698年、老中上座(大老格)、1701年、松平の姓と綱吉の1字を与えられ松平吉保を名乗った。1704年(宝永1)、甲府15万石、要枢の地甲府に徳川一門以外の任ぜられたはじめである。1709年、将軍綱吉が没すると隠棲した。明敏な才気と好学によって綱吉の信任を得、1691年に綱吉が彼の邸を訪問して以来、将軍来臨は50余回に及んだ。綱吉とその母桂昌院の信任で異例の立身出世をとげたため、元禄の側用人政治との批判も強いが、学問を奨励し、荻生祖徠を登用するなど、文治政治へ尽くした功績も大きい。
