50音順    検 索

●約法 やくほう

アジア 中華人民共和国 AD 

 中華民国で制定された暫定的な基本法で,具体的には中華民国臨時約法・中華民国約法・訓政時期約法の三つがある。中華民国臨時約法は,辛亥革命時期の1912年2月に開かれた臨時参議院で起草され,3月新政府の臨時大総統袁世凱によって公布されたもので,全文7章56条よりなる。これは臨時参議院(立法部)に勢力をもつ革命派が,袁世凱の権力を拘束しようとしたところに大きな目的があり,立法部優位主義の立場が貫かれていた。つまり,フランス第三共和制型の責任内閣制を採用し,大総統の実質的権限を著しく形式化したこと,そして国会が単なる立法部でなく,実質上,国権の最高機関たる位置づけを与えられたことが特徴としてあげられる。約法のなかでとくに主権と人民の権利・義務に関する規定が注意をひくが,これについての評価は必ずしも定まっていない。第2条の〈中華民国の主権は国民全体に属する〉という規定について,これを国民主権主義の採用を明示したものとして高く評価する立場がある一方,主権在民とは対立する主権論であるとする見解がある。また第2章の人民の権利・義務に関する規定についても,“革命的なブルジョア憲法”とする評価がある一方,15条の人民の諸権利に対する制限規定からして,全体として清朝が1908年に公布した憲法大綱のひき写しであったとする見方もある。この約法は一時中華民国約法によってその効力を中断されたが,1913年10月ソウコン※注1※憲法が制定されるまで,暫定的基本法としてその役割を果たした。中華民国約法は,袁世凱がその独裁的政治体制を合法化するために,国会を実力によって不法に解散し制定したもので,全文10章68条からなり,1914年3月に制定,5月に公布された。一般にこの約法を新約法,その前の臨時約法を旧約法という。この約法の特色は,旧約法の立法部優位主義が徹底的に排除され,行政部の圧倒的優位が確保されているところにある。袁世凱が帝制運動に失敗して病死し,第3革命が終結するとともに消滅した。訓政時期約法は,1931年5月,国民政府主席蒋介石が胡漢民らの反対を押し切って召集した国民会議において制定し,6月公布したもので,全文8章89条からなり,形式的には1947年1月まで長期間,中国の基本法としての役割を果たした。特徴として,党中央の指導的地位が強化され,中央集権的な性格が強くなっている。

00