●薬師如来 やくしにょらい
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薬師瑠璃光如来・大医王仏・医王善逝ともいい,阿弥陀如来の西方極楽浄に対する東方浄瑠璃世界の教主。いわゆる『薬師経』には玄奘訳の『薬師瑠璃光如来本願功徳経』など全部で5訳あるが,それによると如来にいたる修行中,“薬師十二誓願”を発して成仏したといわれている。その誓願をみると,薬師如来の窮極的目的は,身体の不具・病患を除き,物質的困窮を満たし,心を美しくして衆生を解脱に導くにあるところから,古来,現世利益を願う人々の信仰を集め,中国では5世紀以後,日本では8世紀(奈良時代)以後,薬師信仰がひろく行われるようになった。インドでも比較的初期の経典『出燿経』に薬師如来の原型“薬王菩薩”の名がみられるところから,かなり古くより信仰されていたようである。その仏像は必ずしも一定していないが,おおむね左手に薬壺をもち,右手に施畏印を結んでいる。通常,日光菩薩・月光菩薩を脇侍として“薬師三尊”と称しているが,観音・勢至の二菩薩,あるいは観音・勢至を含む八菩薩を脇侍としていることもある。また眷属として行者を守護する十二神将(ヒンドゥー教の神々)をまつる。また室町時代の初めごろより庶民のあいだに普及した十三仏信仰のなかでは第7番に位し,満中陰に死者を導く守護仏になっている。わが国でも仏教伝来の当初より各時代にわたって多くの仏像がつくられ,多数の国宝・重要文化財を残しているが,なかでも止利仏師の作という法隆寺金堂東の間の薬師如来像,同じく止利仏師作と伝えられる法輪寺の薬師如来像(ともに飛鳥期),奈良薬師寺金堂の薬師三尊像,同じく新薬師寺の十二神将(天平期)を従え,光背に六仏を配した七薬師如来像(弘仁期),さらに唐招提寺金堂の薬師如来像(天平期),法隆寺西円堂の薬師如来像(天平期)等は日本美術の代表作として,多くの人に親しまれているし,平安期・鎌倉期にも多数の傑作がみられる。焼損した法隆寺金堂の壁画のなかには,有名な“薬師浄土”の図がある。【薬師信仰】いわゆる“薬師十二誓願”の第7が〈一切衆生の衆病を除き,身心安楽にして無上菩提を得せしむる願〉であったところから薬師如来の信仰は,インド,チベット,中国にひろく行われ,朝鮮半島を経由して,仏教が日本へ伝来した当初より国内上下各層の厚い信仰を集めた。法隆寺はもともと聖徳太子が父の用明天皇の病気平癒祈願のため建立したものであり,法輪寺は聖徳太子の,薬師寺は持統天皇の病気平癒のため,そして新薬師寺は光明皇后が聖武天皇の眼病平癒を祈って行基に建立させたものと記録されている。奈良時代を通じて“薬師悔過”(けか)の法の修行,『薬師経』の読経や写経の記録も残されているし,伝教大師最澄が比叡山に延暦寺を開創するにあたり,最初に請したのも薬師如来であった。これに対して庶民のあいだの薬師信仰も盛んで,わが国最初の仏教説話集『日本霊異記』(にほんりょういき)にもみられるところである。薬師如来は,その名前の単純明快さと相俟って,医学の発達していない古代・中世においては,病気・負傷の回復という最も切実な現世利益の祈願と結びつき,貴賎貧富を問わずその信仰はひろく浸透していった。元来仏教は外来の宗教であったが,日本に伝来した当初の6世紀には,固有の宗教である神道との衝突紛争がみられたものの,8世紀に入ると仏教と神道の調和が考えられ,いわゆる神仏混淆(習合)がみられるようになり,理論的には本地垂述説,すなわち,インドの仏が日本では神の姿となって現れたとする考えが行われるようになった。『文徳天皇実録』によれば,856年(斉衡3)に常陸国大洗磯前の海岸に光を放って出現した二つの怪石が託宣によってそれぞれ大国主命と少名毘古那命(すくなひこなのみこと)であることが知れ,大洗磯前神社・酒列磯前神社(さかつらいそさきじんしゃ)として祀られ,翌857年(天安1)には“薬師菩薩明神”の号を授けたとある。兩神は記紀によると,兄弟神として葦原中国(あしはらのなかつくに,日本)の経営にあたった農業神であるとともに医療の道を教えた神である。こうして平安時代には神仏混淆のうちに,一般庶民のあいだにひろがっていった。
薬師を祀る法としては,古くは『七仏薬師経』にもとづき,護摩を修行する“七仏薬師法”や“七仏薬師五壇御修法”が行われ,あるいは,薬師如来に対して自己の罪を懺悔する“薬師悔過”が行われ,無上菩提を得て浄土へ往生することと病気平癒が祈られたが,前者が影を薄め,現世利益に連なる後者にのみ目がむけられていった。とくに,庶民は薬壺を手にした仏像のイメージから,病気平癒の祈願に専心した。したがって,前述の寺以外にも薬師如来を祀る寺は全国的にきわめて多く,なかでも京都の東寺,太秦の広隆寺,日野の法界寺,因幡堂の七仏薬師,大阪平野の全興寺,日向(ひなた)薬師などが有名である。全国の温泉で薬師の名を冠したり,薬師を祀っているところは非常に多いが,日本最古の温泉,有馬温泉に伝わる伝説を一つ。行基がある日皮膚のただれた病人のうみを口で吸い取ってやると,たちまちその病人が薬師如来の本身を現じたというもので,付近に薬師寺(通称,温泉寺)や温泉神社があり,後者は温泉の発見者と伝えられる大国主命と少名毘古那命を祀る延喜式内の古社である。
〔参考文献〕五来重編『民衆宗教史叢書12 薬師信仰』1985,雄山閣