●焼畑農業 やきはたのうぎょう
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森林・叢林・原野を伐採し,火入れを行ったのち,1年ないし数カ年のあいだ畑地として利用,その後放棄し自然休閑させ元の植生へ戻すことで地力回復をはかるという形態の土地利用方式をとる農業。現在焼畑が行われているのは,熱帯アフリカの大部分,インドシナ半島の山岳地域を中心とするインドから華南にかけての地域とボルネオ,ニューギニアなどの東南アジアのおもに山地地域,中・南米の熱帯のインディオの社会などである。こうしてみると,焼畑は世界の熱帯雨林地域とサバンナ地域のみに特徴的に分布するように思われるが,日本においても,第二次世界大戦直後まで広い地域にみられたし,ヨーロッパにおいても,たとえばドイツの中位山地地域では19世紀まで存在していた。
佐々木高明は,農耕文化の起源と系譜から,熱帯の焼畑に二つの類型を見出している。それは東南アジアの熱帯雨林地域に発生した栄養繁殖作物を主とする農耕文化の系列に属する根栽型焼畑と,アフリカとインドのサバンナ地域に成立した雑穀類を中心とする農耕文化の系譜をひく雑穀型焼畑である。それらの起源地の生態的条件に従って,根栽型焼畑は熱帯雨林地域とその周辺に伝播し,一方雑穀型焼畑はサバンナ地域および暖温帯林地域へと伝播していった。これら二つの類型は,作物こそ違え,新大陸にも存在している。
この二つの類型に分けられる焼畑は,おのおのさまざまな点で異なっているので,それらを対比しつつ焼畑の内容を検討する。
まず,作物について,根栽型焼畑では,タロイモ,ヤムイモ,バナナ,サトウキビを主とする栄養繁殖作物が栽培されており,油脂作物は欠けている。新大陸のこのタイプの焼畑ではキャッサバ(マニオク),サツマイモが主要作物となっている。これに対し,雑穀型焼畑では,シコクビエ,モロコシ,アワ,キビ,トウジンビエなどの種子作物の栽培が重視され,ゴマなどの油料作物も栽培されている。新大陸での雑穀型焼畑ではトウモロコシが主要であった。こうした組合せがオリジナルなものと考えられるが,新大陸で栽培化されたイモ類およびトウモロコシは,それぞれ旧大陸の根栽型焼畑地域と雑穀型焼畑地域へ入ってきている。また,インドシナ半島からマレー半島をへて,スマトラ,ボルネオ,セレベス諸島には,陸稲が重要な作物として入っている。
輪作体系についてみると,根栽型焼畑においては明確なローテーションがなく,1〜2年の栽培期間には,樹木作物を含む複雑な混作がなされており,作付,収穫時期についても通年連続して行われている。休閑期間は10〜15年とされているが,この間にも,森林へと植生が戻りつつある元の畑において,樹木作物の収穫は続行される。これに対し,雑穀型焼畑には複雑な,一定のローテーションがあり,作付年次ごとに栽培される作物群が異なる。混作はまれである。栽培される作物からも理解されるように,すべて夏作であり,明確な播種期・収穫期がある。耕作期間は2〜3年と根栽型のそれより幾分長く,とくに温帯地域の雑穀型焼畑ではさらに長期化する。雑穀型焼畑の休閑期間も10〜15年とされているが,叢林休閑の焼畑の場合はこれより短く,一方温帯地域では長くなる傾向がある。
農具についてみると,根栽型では掘り棒が主であり,雑穀型の焼畑では種子を散播きすることから鍬を必要とする。また,根栽型焼畑ではしばしば漁労との結びつきがみられ,対して雑穀型のそれは狩猟と結びついていることが多い。
焼畑耕作は,一般には次のような順序でなされる。まず,ある森林・叢林の一区画が,土地の肥沃さの回復程度の目安となる指標植物の存否にもとづいて選ばれる。次に,下生えが伐りはらわれ,若干の大木と有用樹を除き,胸高ぐらいで樹木が切り倒される。もしくは樹皮をはがして枯らす方法も用いられる。この際に切り残された木と,木の根は開墾後の土壌侵食の防止の役を果たしている。その後,ある期間放置され,木・枝・下草が枯れるのを待って火入れがなされる。この火入れによって,肥沃な灰は残るが,多くの有機物は破壊されてしまう。しかも,残されたカリ分は,たった1回の降雨でたちまち流失してしまう。したがって,火入れは必ずしも生態学的に益をもたらさないが,この火入れによって土壌は掘り棒のみで植え付けが可能となるほど砕けやすくなる。土地は耕されないが,これは耕すことがむしろ土壌侵食をもたらすことになるからである。火入れ後,イモ類が植え付けられ,雑穀が播種される。この際,根栽型焼畑では樹木作物を含め混作されるが,これによって植物被覆は厚くなり,これも土壌侵食の防止に役立っている。除草はほとんどされないといってよく,その畑地を雑草がうめつくせば,そこは利用放棄されることになる。こうして放棄された畑は,元の植生へと戻り,十分に地力が回復されるのを待って再利用される。
こうした一連の過程を踏んで行われる焼畑は,地力回復のための時間が十分にとれるなら,言い換えれば,その時間をとるのに十分なほどの広い土地があるならば,土地生産性は低くとも,労働生産性の点では十分に合理的な農業方法だと考えられている。そればかりか,樹木作物とイモ類を混作するような焼畑は,土地生産性もけっして低くないとさえされている。それは,熱帯地域においては,大規模な開墾方式の採用や,犂を使用するといった近代的な農業が,しばしば大規模な土壌侵食やラテライト化をもたらすからであり,家畜の利用とマメ科植物の導入によって地力維持をはかることが温帯に比べ困難であることにもよっている。また,熱帯地域の農業にとって不利な生態学的条件が克服できる水田農業は,開発可能な地域も,面積の点でも限界があるし,喬木あるいは灌木性の樹木作物によるプランテーション農業は,小規模の家族経営では行いにくいこともこれにかかわっている。しかし,人口の急激な増大がしばしば休閑期間を短縮させ,このために急速な森林破壊がひきおこされつつある地域も多い,叢林サバンナの景観そのものが,すでに焼畑の結果もたらされた森林の荒廃現象なのであるともされている。
ところで,日本における焼畑は,1935年(昭和10)には少なくとも約7万町歩,1950年(昭和25)においても9,500町歩もの面積で行われており,1950年の焼畑農家数は11万戸にものぼっていた。しかし,その後焼畑は急速に姿を消しつつあり,現在では観光の一つの催しものとして行われるまでになってしまっている。
日本における焼畑は,すでに縄文後期に,照葉樹林帯の根栽型焼畑として導入されたとされ,その後,イモ栽培以外に雑穀を受け入れ,雑穀型焼畑へと発展したと考えられ,これはアジアの照葉樹林帯の焼畑の系譜に連なるものとされている。
日本の焼畑のタイプには,次のようなものがあった。四国・九州の山岳地城の焼畑で,アワ・ヒエ・ソバ・大豆・小豆・サトイモを主に栽培する典型的な照葉樹林型の焼畑(コバ型)。中部日本の1,000m前後の山地にみられた焼畑で,ソバ・ヒエを主な作物とする典型的な雑穀型の焼畑(ナギハタ型)。奥羽・出羽山地のカブ・ソバ・アワ・大豆・小豆らをつくる莱園タイプのもの(カノ型)。また,秋田県北部と北上山地には,アラキと呼ばれる焼畑が行われ,これは新たに常畑を確保するための,いわば開拓型の焼畑であった(アラキ型)。
日本の焼畑作物の一部にムギが入っており,これは熱帯以外の起源の北方型の焼畑系譜を考えねばならない。また,先述したように,ドイツ中位山地では19世紀まで,スウェーデンなどでは20世紀に入っても焼畑が存在したとされ,焼畑農業は,人口の稀薄な地域において,熱帯・温帯・冷帯を問わず,広く採用された原始的な土地利用方式の農業であるといえる。
〔参考文献〕佐々木高明『熱帯の焼畑』1970,古今書院
佐々木高明『日本の焼畑』1972,古今書院
グリック著,飯沼二郎ほか訳『世界農業の形成過程』1977,大明堂