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●ヤギェウォ朝 ヤギェウォちょう

ヨーロッパ ポーランド共和国 AD 

 リトアニア(1377〜1401,1440〜1572)とポーランド(1386〜1572)を統治した王朝。始祖はリトアニア大公国の興隆の基を築いたゲディミンの孫にあたるヤギェウォ。1385年にポーランドと締結したクレヴォ合同規約にもとづき,翌年,受洗(洗礼名ヴワディスワフ)とポーランド女王ヤドヴィーガとの婚儀をへてポーランド王位についた。以後6人の子孫が両国を統治し,ドイツ騎士団を破って勢威を高め,また両国関係の緊密化を促した結果,両国はルブリン合同規約(1569)を結んで王朝断絶後も1795年まで合同を維持した。一時,ハンガリー(1440〜44,1490〜1526)やチェコ(1471〜1526)の王位も獲得。内政面では中小貴族に諸特権を付与してシュラフタ民主政と呼ばれる政体を現出し,リトアニアやウクライナ貴族のポーランド化を促進させた。このようなポーランドによるルーシ支配の伝統は,19,20世紀にポーランドを中心とした多民族連邦国家建設論を生み,それは〈ヤギェウォ理念〉と呼ばれた。これに対する単一民族国家論として〈ピアスト理念〉がある。