●文部省美術展覧会(文展) もんぶしょうびじゅつてんらんかい
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1907年(明治40),文部大臣牧野伸顕は,勅令をもって美術審査委員会官制を定め,以後毎年,文部省(主催の)美術展覧会を開催することとした。初期には,日本画で横山大観・川合玉堂らが,洋画に黒田清輝・岡田三郎助ら,彫刻の朝倉文夫・荻原守衛らの主要な作品が発表された。しかし,当初から新旧の対立は激しく,1914年(大正3)には大観らが文展を脱して日本美術院を再興,石井柏亭らが二科会を結成して離脱した。そのため,1918年の第12回をもって文展を解消し,帝国美術院を設立して展覧会(帝展)の開催に当たらせた。が,しばらくするとまた弊害が生じたので,1937年(昭和12)同院を廃し帝国芸術院を設置し,展覧会は文部省主催(新文展)として再発足させた。これは戦時中の1943年をもって中止され,戦後の1946年(昭和21)に第1回日本美術展覧会(日展)に改称された。同展は1948年以降,文部省主催から離れ,「官展」の歴史に終止符が打たれた。