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●門中墓 もんちゅうばか

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 門中と呼ばれる父系血縁集団で所有されている共同墓。または一門墓とも称する。北は伊平屋島から南は宮古島・石垣島まで,広く分布している。そのなかでも,糸満市を中心とした南部地域が,門中墓の卓越したところである。糸満市ではここ教年前から,家族墓がちらほらみられるようになったにすぎない。門中墓の発生は,地域によってその新旧は一定でないが,概して北部では新しく,南部一帯ではやや古いということができよう。とくに南部糸満市における幸地腹・赤比俄腹門中墓は2,000名余をこす大門中墓として名高く,しかもその建立は1684年(康煕23)で300年前にさかのぼる。一方,北部の国頭村安波では,これまで村墓を共同使用していたが,1924年(大正13)に初めて門中墓が造られ,1958年(昭和33)までに11基の門中墓が造られた。沖縄における門中思想は,17世紀ごろから王府時代の士族層を中心に生成発達してきたとされている。その本元である那覇市では,明治初期からすでに門中墓の制度は衰え,家族墓に移行している。同様に,近隣の浦添市や宜野湾市などでも,門中墓は宗家筋の管理する神墓として存在するようになった。中部の読谷村座喜味でも,1955年ごろまで門中墓の制度をもっていたが,火葬の普及と,採石による墓地の移転によって,家族墓が出現し,現在は若干の門中墓を残して,ほとんど家族墓に移行している。従来の門中墓は神墓として,門中が旧暦3月の清明祭に拝んでいる。

〔参考文献〕名嘉真宜勝他『沖縄奄美の葬送墓制』1979,明玄書房