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●門中 もんちゅう

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 韓国・沖縄の父系血縁集団。韓国の門中は,一定の地域に集中して住み,その地域の入郷祖ないしその子孫で傑出した人物を共通の始祖として仰ぐ父系子孫で,共有財産をもち,族譜を編集し,始祖以下の祖先の墓祀りや総会を毎年定期的に行う。

 始祖のうちには,外来の中国人やときに日本人が含まれていることがあるが,歴史的伝承として扱われ,とりたてて問題とされることはない。共有財産には,有名な祖先を顕彰する祭閣・祠堂,その維持や祖先祭祀のための位土(田畑),一族の墓をつくるための山林などがある。族譜は,ほぼ一世代ごとに改訂版が出されるが,その編集は一族のうちから選ばれた役員が当たり,正当な子孫でない者の名が紛れこまぬよう厳しくチェックする。族譜の内容がいいかげんだとその門中の信用がなくなりステータスが下落するからである。墓祀りは,ふつう陰暦10月の定められた日に始祖から順に墓のある山を巡って行われる。門中の中心は,始祖から長男系を通して伝えている宗家で,その当主は宗孫と称され年齢・世代にかかわらず一族の統合の中心として大切にされている。共有財産も宗孫の名儀で登記されていることが少なくない。宗孫は,一族の象徴であるから,それにふさわしい行動が要求され,祖先祭祀にさいしては供物の準備をはじめ責任をもち,また来客の接待も主に宗家で行われるので,相続分は多いものの生活は楽ではない。門中の長には,生存者中最上世代の高齢者で識見のある者を選ぶ。このもとに役員である有司が数名選ばれ,共有財産の管理や宗会の運営に当たる。門中では,輩行字といって同世代の者の名前の1字を共通にする。これによって初対面でも,同じ門中であり,かつどの世代に属するのかが即座に判明し親近感を深め,相手の扱いの見当がつく。年下であっても世代が上ならそれに相当する敬意を示さねばならないからである。こうした門中の内部に,より下位の祖先を中心とした分派が,その派祖に因んだ祭閣や墓を祀り,同一門中でありながら強い競争意識をもって対抗していることも少なくない。門中の成員は,こうした分派の形成如何にかかわらず,村落を超え分布しているが,多数集って居住している村ないし村落群があり,門中の行事の中心地となっている。通常,宗家や始祖を祀る祭閣などがあり,このような村の居住者は,一族のうちでも高いステータスを有している。

 門中の下位にある組織としては,チバンおよび家がある。チバンは漢字をあてると“家内”の意であり,4代前,つまり高祖をともにする子孫をいう。相互に遠い者でほぼ8親等,つまり3従兄弟の範囲にある。チバンは,高祖までの祖先の祭祀をそれぞれの命日と元旦・秋夕(陰暦8月15日)に宗家において共同で行うほか,日常の諸活動においても密接な互助単位にもなっている。韓国の家族は,長男残留の直系型をとり一見日本のイエ制度下の家族と類似しているが,父系原理が強く支配している点で異なる。次三男は結婚後暫くして分家し,小家を創立するが,本家である大家との関係は日本の本分家関係のような主従的色彩は強くなく,むしろ対等意識が強い。また,養子は日本のような婿養子は認められず,子の世代の父系血縁者でなくてはならない。兄に男子がいない場合,弟は一人息子であっても兄の養子とし自らの家が絶えることもある。つまり,韓国では,家の連続性よりも宗孫(長男系)の連続性を重視しているといえよう。門中をこえたまとまりとしては,同本同姓の範囲がある。同本とは祖先の発祥地を示す本貫が同じであることをいう。つまり,遠祖の父系子孫であることになるから,この範囲内での婚姻は禁止される。通常は,門中のように組織化されていないが,未知の間柄でも同本同姓とわかると特別の親みを感じ,門中に準ずる紐帯として利用されうる。李朝の王族であった全州李氏などは,共有財産をもち,定期的に合同の祭祀を全国的規模で行っている。そのほかの同本同姓または門中の連絡事務所もしばしば都市に置かれ,宗親会・花樹会などの看板をみることができる。

 沖縄の門中は,王朝支配と結びつき17世紀以降成立したと推定され,本島ことに首里を中心とする士族層において発達した。王府公認の家譜をもち,和風の苗字の異なる場合でも中国風の姓を共通にし,毎年清明節などに始祖の墓や門中墓の前および宗家にある位牌の前で祖先を拝む。このように長男系によって伝えられた宗家が統合の中心になり,運営は一族から選ばれる役員によってなされる点,地域的拡がりが集落をこえる点,あるいは婿養子を認めず門中内から養子をとり父系原理を貫徹する点など韓国の門中との類似が著しい。しかし,一方では門中内の通婚が認められ,祖先祭祀に女性が関与し,祖先祭祀以外の機能がほとんど無いといった差異もあり,両者の影響の有無については未だ解明されていない。一方,平民層においては上記のような門中は認められないが,百姓門中とでも称すべき血縁集団が存在している。これは,おそらく士族門中をモデルとして,近来父系的傾向を強め整備されたものであろう。