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●門前町 もんぜんまち

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 寺院や神社その他宗教施設を中心に成立した集落で,寺院門前の門前町(狭義)と神社の鳥居前町に区分されることもある。中世末に約1世紀発達した真宗寺院を核とし門徒衆が集住した寺内町も広義の門前町であろう。奈良・京都・江戸などでは町域内に複数の門前町が成立し,善光寺・山田・琴平・高野山・大社では単一門前町である。参詣者を対象に土産物店・飲食店・茶屋・旅籠屋・芝居小屋などが参道に軒をならべたものと,奉仕者が門前に集住した社家町・僧房町などがあるが,いずれも参道に沿った街村形態をなす。修験道など山岳信仰では山麓の登拝口に成立し,富士山では表口の大宮,東口の須走,北口の吉田に里宮の浅間神社を中心に発達し,出羽三山では月山へ八方七口(荒沢・川代・〆掛・大網・肘折・本道寺・大井沢・岩根沢)に小さいが信仰登山集落が成立した。門前町は参詣者と奉仕者による財貨の消費が活発であるため集荷・流通がおこり,門前町だけでなく近隣在方をも背景として商業機能が生じ,伊勢山田善光寺・備前西大寺など市が立って市場町として栄えた。また寺社を本所とする座も組織され京都祇園社の綿座・材木座,山崎離宮八幡宮荏胡麻油座,摂津今宮社の魚座など例は多い。祭式用衣服や祭具の製作,寺社の建築補修に従事する職人たちもあり,やがて寺社以外の需要にも応じ工芸が盛んとなって特産化するものも生まれた。根来寺・輪島重蓮寺・村上耕雲寺の漆器,井波瑞泉寺の彫刻,滋賀多賀大社の杓子と扇骨,京都御影堂の扇子など多くの例がある。僧家や神主は庶民を教導する立場上一般に教養豊かで,門前町は地方文化の中心となるほか,祭日や市日には芸能人や遊芸者が来集して中央からの文化伝達の基地となった。宇治古市の歌舞伎・琴平の金刀比羅大芝居・岡山吉備津神社門前の御朱印芝居などは著名であった。社寺詣は封建体制下の庶民にとっては大きな楽しみであり,歓びで,参詣後は精進落しと称して大いに遊ばれた。そのため芝居小屋や遊所が発達し,伊勢宇治の古市・善光寺の権堂町・江戸浅草寺の新吉原・同護国寺の音羽・奈良の転害門・三輪大神神社の馬場先・名古屋大須観音の日出町のほか,岡山吉備津神社では門前が遊里であり,大坂の千日前・道頓堀は住吉大社や四天王寺詣での人々で賑わった。門前町が宿場として繁昌するのはもちろんで,高野山・善光寺長谷寺・英彦山・立山芦峅寺・羽黒山手向・京都東西両本願寺・天理(丹波市)などには宿坊や詰所があって門前町は大変賑わった。神社の信仰を弘布した御師も,参詣に来た檀家のために屋敷を宿泊用に提供し,伊勢山田では最盛期には約600軒,同宇治でも約200軒余の御師宿があり,一般の町宿との間に参宮者の争奪をめぐっての争いがおこった。奉仕者だけが集住した社家町としては京都上賀茂神社・西宮戎神社・多賀大社・立山芦峅寺・宇佐神宮そのほかにみられる。上賀茂神社では賀茂七家と称された上級社家を中心に集まり,太宰府天満宮の門前町は近世には社家の屋敷町にすぎなかったし,榛名山では門前町が社家地区と社僧地区に分かれて形成されていた。世界でも門前町の発達があり,キリスト教ではヴァチカン・ルールド(フランス)・イェルサレム,モルモン教のソルトレークシティ,イスラーム教のメッカ・メディナ(サウジアラビア)・ナジャフ・カルバラ(イラク)・マシャド(イラン)など著名である。インドのブッタガヤ・サルナート・クシナガル・ルンビニーなどは仏教聖地であるが,仏教の滅亡のため門前町に発展していない。ソルトレークシティはモルモン教徒の居住地がシオンの町の霊感による象徴として1844年に建設されたもので,本山のあるテンプル広場を基準に正四角形に区画され,1ブロック10エーカーに20家族が当初居住した。ルールドはベルナデット=スービルが聖母マリアを目撃したと伝える洞窟があり,1876年教会が建立され門前町として栄え,巡礼者は年100万人に及ぶ。このほか巡礼者を集めている町にポルトガルのファーティマ・ナザレなどがある。

〔参考文献〕藤本利治『門前町』1980,古今書院

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