●モロトフ
アジア 日本 AD1890
1890〜 ソ連の政治家。本名スクリャビン。モスクワ生まれ。父は商店員。実業学校卒業後,高等商業学校に入学したが,革命運動に加わり,3年級のとき放校。1906年社会民主労働党に入り,カザン・モスクワ・ペテルブルクで活動,党機関紙「プラウダ」の編集に従事。投獄6回,流刑2回。二月革命後ペテログラード=ソヴィエト執行委員,十月革命後は軍事革命委員,党中央委員会の沿ヴォルガ地方の全権委員,1921年ウクライナ党中央委書記,1922年共産党中央委員・政治局員となり,1930〜41年ルイコフに代わり人民委員会議長(首相),1939年5月リトヴィノフに代わり外相兼任,従来の親英仏路線を捨て,同年8月独ソ不可侵条約を結ぶ。1941年首相の座から退いたが,1949年まで外相としてソ連外交を指導,同年副首相専任となり,1953年スターリンの死後ふたたび外相を兼ねたが,スターリン批判後1957年モンゴル大使に左遷,1962年引退。
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