●物忌 ものいみ
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齋・齋忌・齋戒とも書き,単に忌みともいう。祭事にあたって神を迎えるために,あるいは凶事を避けるために,一定の期間,不浄を断って,清浄な状態を保つことを意味する。また,伊勢・賀茂・春日・鹿島・香取などの神社で,神饌(しんせん)を扱う童女(まれには童男)のことを物忌と称した。『日本書紀』には,神武天皇が物忌して神を祀ったと記されている。もともと陰陽道の禁忌の1種と考えられ,禁忌の対象はさまざまであり,植物・動物・鉱物や作物のなかから,神仏・死者・死霊との関係や形状・色彩などの連想から忌むべきものが定められた。日や方角・夢などについても吉凶があり,平安・鎌倉時代までは,方違(かたたがえ)・夢違などの物忌が行われていた。とくに天一神(なかがみ)・太白神(ひとりめぐり)のいる方角は塞(ふさがり)といって避けていた。生年によって予定された忌み日があり,期間は2日またはそれ以上がふつうであり,そのあいだは門戸を閉じて出入りを差し止め,殿舎にすだれを垂れて「物忌」と記したヤナギ・シノブ紙などの札をつけた。軽い物忌には,冠や髪に小さい物忌の札をつけると,外出してもよいとされていた。現在でも行われている忌中のすだれの起源と考えられる。食事や行動を慎み,屋内にこもるところから,祭事の前に一定の場所に集まって行う物忌はオコモリ(お籠り)と呼ばれている。精進(しょうじん)というのは仏教語であるが,オコモリと同じ意味に使われている場合も多い。今日では,たいていの神社では,ヨミヤといって祭日の前夜に,人々が神前に集まって,拝んだり,食事をしたり,団らんしたりすることはあるが,それ以前に慎みの期間を設けて物忌することは少なくなった。しかし,元来は,祭事の前には物忌をかたく守って,神を迎える条件を調えることが必要であった。『神祇令(じんぎりょう)』などでは,祭事の前後に行う比較的ゆるい物忌を散齋(あらいみ),当日の厳重な物忌を致齋(まいみ)とを区別して,齋戒沐浴(さいかいもくよく)・徹夜・別火,また弔問・肉食・触穢(しょくえ)・音などの禁を定めている。大祭の場合の散齋は1カ月前から始められた。神社によっては,散齋は7日前,致齋は3日前からとするものもあるが,これに服する者は神職と頭屋(とうや)のみであるのが通例である。京都府相楽郡祝園の忌籠(いごもり)祭は3日間の物忌を氏子全員が守るのであり,そのあいだは昼眠って,夜は起き明かし,音をたててはいけないことになっていた。物音をたてないようにするために下駄を履くことは禁じられ,水を汲むための柄杓が水がめに触れて音がしてはいけないので,柄には縄が巻きつけられていたという。頭屋制度の厳重なところでは,頭屋はきわめて厳しい物忌をしなければならなかった。毎日水ごりをとって身体を浄めてから神社に参拝するだけでなく,火を清浄に保つために,一間を仕切って別に必ず男炊きの飯を食ベなければならなかった。また,頭屋をつとめる1年間は,葬儀や仏事には参加しなかった。この物忌の戒律も,現在では寛大になって,ほとんど失われてきている。祭事とは関係なく,ある特定の期間,村人が集まって物忌に服する習慣も各地に残っている。祭事とは関係ないというものの,もともとは関係があったのが,祭日の変化などで,いつの間にかわからなくなってしまったのであろうと思われる。千葉県南部でミカハリと呼ばれるものは旧暦11月下旬に始まる約1週間の物忌であり,佐渡島にも古くは,12月末からと1月末からとの各7日間の忌み日があるといわれる。この二つの時季が部分的に残ったものと考えられるのが,12月と2月の各8日のオトコである。この日には一つ目の妖怪が出現するといういい伝えがあるが,これは物忌を厳しく守らせるために生まれたものであろう。そのほか,山形県の大物忌神社の氏子の物忌は10月末からと正月末からとの各7日間であり,長門忌の宮・出雲大社・出雲佐陀神社にもこれとよく似た物忌があることが知られている。