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●本居宣長 もとおりのりなが

アジア 日本 AD1730 江戸時代

 1730〜1801(享保15〜享和1)江戸中後期の国学者。松坂木綿問屋小津定利の二男。名は栄貞(よしさだ)。初め小津富之助,のち通称弥四郎。父の没後京都遊学後本居へ復姓。通称健蔵,号芝蘭・舜庵。名は宣長。晩年中衛と号す。鈴屋と称す。1752年(宝暦2)京都へ上り,狙徠学の影響を受けた堀景山に入門,さらに堀元厚・武川幸順について漢学・漢医学・薬学を身につけ,その途中景山のすすめもあり,契沖の著述を読み,古典へ開眼。1757年松坂へ帰って小児科医開業。かたわら賀茂真淵の著述によって学問を深め,1763年賀茂真淵門へ入門,翌年『古事記伝』著述に着手(1798年完成)。このころより『石上私淑言(いそのかみのささめごと)』『紫文要領』をまとめ,1771年(明和8)復古思想の総論『直毘霊』を出版。1787年(天明7)紀州藩主徳川治貞の下問に答え『玉くしげ』『秘本玉くしげ』を上呈。同藩扶持を受ける。鈴屋門人は490余名に達した。その業績は,(1)『古事記伝』の完成,(2)文献学の完成,(3)“もののあはれ論”の展開,(4)国学の完成,(5)復古思想の提言である。

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