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●木工品 もっこうひん

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 木工品は第1に木の幹や枝を少し加工して使うもの。第2に木の内側を手斧などで刳ってつくった槽・臼・木鉢・木皿・盆・杓子などのいわゆる「刳り物」。第3に刳り物の手法をいっそう発展させて,ろくろで挽いてつくる椀・小皿・木地椀・小皿・木地盆・木地膳・茶櫃などの「挽き物」。第4に檜や杉などの薄い材を曲げて,桜の皮などで綴じ合わせ,それに底板なり上板をはめ込んで容器とする「曲げ物」。第5に板を組み立て,箱・桶などのいわゆる「指物(組物)」がある。刳り物はすでに縄文晩期にみられ,基本的にはその技術がそのまま弥生時代にひきつがれ,木地の使い方に一段の配慮がなされた。弥生時代の刳り物容器には,木目に添って縦取りに木取りしたものが多い。この板目の縦断面を容器の口縁部にあてる木取り法は,木材を加工しやすいし,乾燥による変形を避けるための適当な処置であった。また登呂遺跡山木遺跡出土の長方形や楕円形の槽や片口・鉢・皿などは,概して短辺側と長辺側の縁の傾斜に緩急の差をつけているし,長辺側の縁を広くしている。これは製品が割れるのを防ぐための工夫であった。こうした種々の技術的配慮によって,さまざまなすぐれた刳り物容器が生まれた。こうした古代の知恵と技術はそのまま今日の生活にも永々と生きている。飛騨や岩手ではネリ鉢・シメシ鉢とも呼ばれる木鉢がいまも使われている。山木遺跡などの鉢と同じく手斧刳り・手斧はつりで,米の粉をこねて団子をつくるのに用いる。この種の木鉢は信州や加賀・但馬・丹波をはじめ各地の山村に伝わる。弥生時代の槽と同じ形の木槽も随所にあり,岩手ではワラビの根から澱粉を採取するときの沈澱槽として使うし,ところによっては水槽,家畜の飼料入れにも用いる。挽き物の出現は刳り物よりも時代が下るが,唐古遺跡の第四様式の土器といっしょに出土した木製高杯は,轆轤を使用したもののようにみられるので,弥生時代の後期あたりにその初原が求められそうである。轆轤の使用は従来の刳り物の手法にくらべて正確に迅速に多量に生産する利点をもち,生活用具の供給に大きな役割を果たした。そして轆轤を使う専門の工人も生まれ,轆轤師・轆轤挽き・挽き物師・木地刳りなどの名をもって呼ばれた。762年(天平宝字6)の『正倉院文書』や『延喜式』などにもすでに轆轤工の名がみえ,法隆寺の百万塔なども彼らによってつくられ,宮廷や寺院の需要にも盛んに応じていたらしい。そしてまた全国の漆器の製作にも参与し,日本の工芸史上大きな足跡を遺した。今日世に知られる輪島塗もその母胎は輪島轆轤師で,さらにその根源をなすものは合鹿轆轤師であったし,会津漆器や吉野塗・日野椀・竹田椀などみな背後山地の轆轤師の活躍を基盤としたのであった。曲げ物は何十年も経った良質の木を切り,柾目に沿って剥ぎ,薄く削ったものを火にあぶるか熱湯に入れてなまし,円形あるいは楕円形,ときには方形・長方形に曲げて側板とし,その合わせ目を桜あるいは白樺の皮を薄く帯状にしたもので縫い合わせ,できあがった側板に底をとりつけたのである。板を円筒形に並べてタガで締め,底板をつけた桶,さらに蓋板を固定した樽が考案され,一般に普及するのは中世末期以降のことで,鎌倉時代後期に描かれたといわれる「直幹申文」に描かれた桶が,絵巻物における桶の初見で,つづいて室町時代初期の風俗を描いたと推定される「福富草紙」に一例,室町時代中期の風俗を示す「石山寺緑起絵巻」などに桶の図をみるにすぎない。したがって実際に庶民の日常生活にひろく桶が活用されたのは,おそらく近世になってからであろう。だからそれ以前の桶はすべて曲げ物で,すでに古代においてその使用例がみられる。曲げ物はその形状・仕様,あるいは用法においてまことに多様であった。弁当入れ・飯櫃・柄杓・水桶・火桶・炭桶・苧桶などの各種容器のほか,蒸籠・箕・篩などの側に用いるし,水車の揚水桶とした。また側だけを積み重ねて井戸枠としたし,仏寺の納骨容器として用いた例もある。