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●木簡 もっかん

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 短冊形の木片に墨書したものを広く木簡と称している。古代中国において,紙が発明される以前,文字を書く材料として帛のほか竹木を用いた。竹を書写材につくるのには,節と節のあいだを使って丸みをなくす必要があるから,狭長な形にならざるをえない。これが木簡の原形で,1尺ないし1尺5寸の細長い材を絹糸で編綴したものが,古代の書物であったという。「冊」の字形は,簡を編綴した形を表したものといわれる。木簡は狭長な短冊形ばかりでなく,紙使用前の中国においては,書かれる内容により,また用途・機能によって,さまざまな形態のものがつくられた。

【中国】今世紀初頭,ヨーロッパの学者が中国西北部の敦煌・楼蘭(ろうらん)・居延(きょえん)など,漢代から魏普代の遺跡で1万点を越える木簡を発見した。中国において,木簡の実物が検出されたのはこれがはじめてで,第二次世界大戦後しばらくは,木簡の研究はそれらをめぐって行われた。中華人民共和国成立以後,本土内の発掘調査がようやく盛んになり,おもに戦国時代・漢代の墓から,各種の木・竹簡が発見されている。墓から出土する木・竹簡でふつうにみられるものは,副装品の目録を記した遺策であるが,特記すべきものとして,1959年甘粛省武威県の後漢時代の墓から出土した儀礼(儒家の経典の一つ)や,1975年湖北省雲夢(うんぼう)県の秦墓から出土をみた秦律(法律書)がある。中国木簡の内容としては,上記の法律・書籍(儀礼のほか兵書や医書がある)・遣策に加えて,皇帝の命令を記した冊書・制書・詔書の類もみられる。また,漢代の匈奴防衛の前線基地であった居延県で出土した「居延漢簡」のなかには,中央政府の下達文書や,逆の場合としての上申文書が一群としてあり,日常の物資の出納を記した帳簿類もある。このほか特殊なものとして,過所(かしょ)と称する通行証明書がある。これらは後漢以前のもので,紙発明以前の木・竹簡の事例であるが,紙と併用される時代の木簡としては,3〜4世紀魏晋時代の楼蘭やニセ遺跡出土のものがある。これらは材の大きさもまちまちで,漢簡のように一定の寸法を意識したつくりではなく,1簡で完結する程度の内容のものになり,表裏両面に書かれることが多い。日本の木簡との類似性が顕著に認められる。

【日本】日本の木簡も中国のものと同様,大部分が発掘調査の出土品である。正倉院に若干の伝世品がある。出土品としては昭和初年のものが数例あるが,日本で木簡が注目されるようになったのは,1961年奈良県所在の平城宮跡で,40点の木簡が出土してからである。以来,同宮跡の発掘調査で1984年10月現在約2万5,000点がみつかっている。平城宮跡の木簡出土が契機となり,全国の歴史時代遺跡で木簡の検出がみられるにいたった。飛鳥京・藤原宮・難波宮・長岡宮・平安京などの都城遺跡をはじめ,大宰府多賀城を筆頭とする国・郡衙跡からも多量の木簡が出土している。浜松市の伊場遺跡や兵庫県氷上郡の山垣遺跡は,木簡が多量に出土することにより,ある種の官衙機能をもつ遺跡として注目されるにいたったものである。数はそう多くはないが,一般集落と推定される遺跡からも木簡出土が報ぜられている。また古代に限らず,中・近世の城館・寺院・町・集落の遺跡からも木簡が出土しており,古代木簡と共通する用途・機能をもつものもある。中世港町の遺跡で,計画的な発掘が行われている広島県福山市の草戸千軒町遺跡は,鎌倉〜室町時代の木簡が多量に出土している遺跡として有名である。日本の木簡で最も古いものは,奈良県明日香村の坂田寺跡出土のもの,または大阪市難波宮下層遺構出土のもので,これらは7世紀前半を下らないとされる。したがって現在のところ,日本の木簡は紙と併用される時代以降のものであり,1簡で内容が完結するもので,冊書の形をなすものは存しない。長さ十数センチ〜三十数センチ,幅4〜5mmが普通の大きさである。檜・杉が多く,文書的な内容のもの,付札的な利用,習字・呪符など内容は多様である。

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