●文字の獄 もじのごく
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中国では筆禍事件のことを文字の獄というが,清朝は異民族出身の征服王朝であるため,人民の攘夷思想に対する警戒心が強かったため,たびたび文字の獄がおこって犠牲者が出た。とくに清代の康煕年間(1662〜1722)・雍正年間(1723〜35)・乾隆年間(1736〜95)に続発したものをさす。その最もはなはだしいものとしては,1726年(雍正4)の査嗣庭事件などがある。査嗣庭事件は,彼が江西の郷試に「維民所止」との試題を出したことから,維と止が雍正の2字の首をはねたものとして下獄させられ,その死後,死体はさらされ,彼の子は死刑,一族も投獄された。その後の乾隆年間も,『四庫全書』の編さんが全国の図書の内容を検閲する目的をもっていたことなどにより,弾圧はさらに厳しくなっていった。