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●毛利元就 もうりもとなり

アジア 日本 AD1497 室町時代

 1497〜1571(明応6〜元亀2)弘元の二男。幼名松寿丸・少輔次郎。のち右馬頭・陸奥守。兄興元・甥幸松丸の相次ぐ早世により1523年(大永3)家督を相続して吉田郡山城に入る。1540年(天文9),吉田に来攻した尼子晴久を撃退して勇名を馳せた。以後大内義隆の後援を得て安芸・備後両国を統一。1555年(弘治1)には,先に大内義隆を滅ぼした陶晴賢を厳島に倒し,1557年までに大内氏の旧領周防・長門を収める。ついで石見を攻め,さらに1566年(永禄9)には尼子義久を降して出雲・隠岐を支配下に入れる。また備中・伯耆・因幡にも進出して,中国地方最大の大名となる。いったん家督を嫡子隆元に譲ったが,隆元の急逝により再び家督して孫輝元を後見。二百数十度の合戦に出陣して生涯を戦争に明け暮れたが,再興をはかって出雲に侵入した尼子勝久と戦っているさなかに郡山城に病死。75歳。1557年に一族の結束を強調した隆元・元春・隆景3子に宛てた教訓状は有名。