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●毛利輝元 もうりてるもと

アジア 日本 AD1553 室町時代

 1553〜1625(天文22〜寛永2)元就の孫で隆元の長男。幼名幸鶴丸・少輔太郎。元服に際して将軍義輝の偏諱を受けて輝元と名のる。のち右衛門尉・右馬頭,出家して幻庵宗瑞。従三位・権中納言に進み,清華に列せられる。父隆元の急逝で,“毛利両川”と称された二人の叔父吉川元春小早川隆景の後見を得て,祖父元就から継承した領国を維持する。1576年(天正4),前将軍足利義昭を援けて織田信長と戦うが,本能寺の変のあと豊臣秀吉と講和。1588年に初めて上洛。1591年に中国地方8カ国112万石を安堵され,豊臣政権下で徳川家康につぐ有力大名となる。文禄の役に渡海し,帰国後大老となる。関ケ原の戦い(1600,慶長5)には西軍の盟主として大坂城に入城。戦後に敗戦の責めを負って周防・長門29万8,000余石に減転封され,家督を嫡子秀就に譲って隠居。幼少の秀就を後見して,長門萩に居城を構えて藩政の立て直しをはかる。1625年萩に病死。73歳。

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