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●殯 もがり

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 古代の殯はモガリ・モガリノミヤ・アラキノミヤ(殯宮)などと訓まれる。この殯は天皇,貴族のあいだに行われたもので,死後,埋葬までのあいだ,死体を安置して種々の儀礼を行うこととされているが,次のような種々の説がある。すなわち,殯とは,(1)死後,陵を造るあいだ,また蘇生を祈るための期間,(2)死後まもない荒ぶる死者の魂(凶癘魂)を鎮め,和魂にする期間,(3)死をもたらす凶癘魂((2)説とは凶癘魂の意味・規定が異なる)を鎮める期間をさし,また,そのあいだ,遺体を安置する場所(殯所・殯宮)を意味するのである,この殯宮のなかには,死者に最も近い肉親が,ただ一人,死体のそばにいて喪に籠っている。もっとも,この一人の肉親以外に,遊部の禰義と余比の二人が,この殯宮に入ることを許される。禰義は刀と戈をもち,余比は酒食と刀をもって殯宮に入り,凶癘魂を鎮めるための行儀を行う。一方殯宮の外側では,諸臣によって,誄(しのび)の儀礼(死者を慕い,死者の霊にむかって述べることば)が執り行われる。一方,現行の民俗に窺われるモガリには,次のような事例がみられる。すなわち,(1)青森市やその周辺では,死者の家と隣家との境に,木や竹などを斜十文字に組んで立てる。これをモガリと呼んでいる。(2)奈良県では,埋葬した棺の周囲を竹で囲み,地表から上方にのびた,その竹を上部で束ね,円錐状に縄でぐるぐると巻く。これをモガリ・モンガリという。子ども墓でよく行われているが,子ども墓だけではない。また,割り竹で棺を取り巻き,土をかけ,サンマイシバをのせる。ここに竹を無数にさして縄を張る。これをモガリと呼ぶ。(3)棺を置く部屋を,青森県野辺地地方では,モガリの室と呼ぶという報告が,諸書によく引用されている。棺を置く部屋をモガリと呼ぶとすれば,貴重な事例であるが,報告者中市謙三の記事をよく読めば,棺を置く部屋を,野辺地でモガリの室と呼んでいるのではないのは了解されるはずである。したがって,筆者は,モガリの室の用例は採用しない。なお,古代の殯を思わせる民俗であると注目されるものに,次のような例がある。(1)南島のモヤ。沖永良部島や津堅島では,親子兄弟・近縁者がモヤを訪ね,死者の顔をのぞき,酒肴や楽器を携えて踊り狂ったという報告は,『日本書紀』巻第2に,〈天稚彦が死すと,喪屋を造りて残す,すなわち,川鴈を以て,持傾頭者および持帚者とし,(中略),而して八日八夜,啼び哭き悲び歌ぶ〉とある記事を彷彿とさせる事例である。また,古代の殯宮における禰義や余比の行儀のありさまを推測させるといってもよいだろう。(2)津軽では,埋葬したあと,初七日のあいだ,あるいは四十九日のあいだ,墓見舞・野見舞などといって,埋葬した地上で藁火を燃やすが,このとき,鎌を右上から左下ヘ,また左上から右下へと,数回空を切るというところがある。この鎌で空を切るのは,古代の殯宮における禰義が,刀と戈をもって行う所作を,窺わさせるものかも知れない。(3)現在の通夜の制は,大きく変化しつつあるが,それでも,深夜における近親者のみによる通夜には,古代の殯を窺わさせるものがあるとする説もある。このように,現行の民俗ないしは,かつての民俗事象のなかには,古代の殯の様子を推測させるものが少なくない。ただし,これらの民俗事象には,モガリの呼称をもつものは,残念ながらない。ともかく,古代の殯・殯宮と,現行の民俗のモガリとが,どのように関連するのであるか,この両者を,からみ合わせて,殯をどのように解明するかが,今後の課題であろう。

〔参考文献〕折口信夫「上代葬儀の精神」『折口信夫全集』20,1956

五来重「遊部考」『仏教文学研究』1,1966

岩脇紳「殯」近畿民俗 57,1973

田中久夫「殯宮考」『東アジアにおける民俗と宗教』1981

中田太造「殯における民俗学的考察」近畿民俗 54,1971