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●最上徳内 もがみとくない

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 1755〜1836(宝暦5〜天保7)江戸後期の幕吏・北方探険家。出羽国最上郡楯岡村の出身。26歳のとき江戸へ出,1784年(天明4)本多利明に入門し天文・航海・測量術を学ぶ。翌年,幕府から蝦夷地調査に派遣された普請役の一行に加わり,択捉・得撫島を探検した。択捉島滞在のロシア人から北千島でのロシア人の活動を聞き『蝦夷草紙』を著し,蝦夷の重要性を幕府へ訴えた。1798年(寛政10)東蝦夷地が幕府直轄領となると箱館奉行支配調役となった。その間1791年(寛政3)の南千島,翌年の樺太など1808年(文化5)まで9回にわたって蝦夷地・千島・樺太を探検した。当時随一の蝦夷通であり,1792年(寛政4)には世界で最初の蝦夷語にかんする『蝦夷方言藻汐草』を刊行したほか,アイヌの生活・風習について『渡島筆記』を著した。1826年(文政9),シーボルトに蝦夷の地図や植物標本の貸与・寄贈,アイヌ語の援助をし,やがてシーボルトによってその知識は世界にひろめられた。

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