●蒙恬 もうてん
アジア 中華人民共和国 AD
?〜前210 中国,秦代の武将。祖先は斉の人で,祖父ゴウ※注1※は,秦王政の前240年(始皇帝7)まで将軍として活躍した。父の武も将軍として軍功をあげ,その子の恬は父の後を継いで将軍となり,斉の攻撃に参加して勝利を収め,功績によって都の長官である内史となった。秦が国内を統一すると,前215年(始皇帝35)に,蒙恬は30万人の大軍を率いて北方の異民族を追い払い,万里の長城を築き,匈奴をも討って上郡(現在の陝西省綏徳県東)に駐屯した。このころ,弟の毅も始皇帝に取り立てられて政策立案に加わっており,蒙家の名声は高かった。また,彼は九原郡(内蒙古自治区五原県)から甘泉(陝西省三原県)までの直行道路の建設を命じられて,これにあたった。始皇帝が没すると,宦官の趙高にはかられて,罪があるとして,自殺を命じられた。蒙恬は無実を主張したが,第2世皇帝が即位すると,再度の自殺命令がだされ,やむなく毒を仰いで自殺した。
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