●猛安・謀克 もうあん・ぼうこく
アジア 中華人民共和国 AD
中国,金朝の軍事・地方制度または官名。1114年,阿骨打(太祖)が,女真人の固有の在地共同体を基盤としてつくった軍事・戦闘組織。300戸を1謀克,10謀克を1猛安と呼んだ。猛安は,女真語で千を意味するミンガン,謀克は郷里・邑長を意味するムケの音訳といわれる。1謀克の長を謀克と呼び,1猛安の長を猛安と呼び,世襲させて部民の統治にあたらせた。戦時には,1謀克から約100人の兵士を徴集し,これを軍事行動の基礎単位とした。したがって,1猛安では1,000人の軍団となる。しかも,平時の首長である謀克・猛安がそれぞれの戦闘集団単位の統率者となる。華北進出の後では多数の女真人は,この猛安・謀克組織のまま漢民族のあいだに移住し屯田せしめられた。しかし海陵王の対宋開戦後,猛安・謀克戸の貧困化が激しく,世宗はその救済に努力したがはかばかしい効果がなく,結局金朝を弱体化させ,滅亡を早めることになった。