●メディア王国 メディアおうこく
アジア イラン・イスラム共和国 BC
インド=ヨーロッパ語族の一派であるメディア人が,前8世紀の末ごろイラン高原に建設した国家。首都はエクバタナ(現在のハマダン)。メディア人はイラン高原の西北隅,ウルミア湖の南辺から東にひろがって住んでいた遊牧民,または半遊牧民で,とくに馬をこの地方の草原で飼っていた。前8世紀後半ごろから強勢となり,そのためしばしばアッシリアの征討を受けたが,同世紀末デイオケス(在位前708〜前655)が建国,3代目の王キャクサレス(在位前625〜前584)のとき,バビロニア軍と連合してアッシリアの首都ニネヴェを陥れ(前612),アッシリアを滅ぼしてしまうほど強大な国家となった。キャクサレスは,さらに北方の強力な騎馬民族スキタイ人の侵入を撃退し,また小アジアのリュディア王国と両国の国境線をハリュス川と定め(前585),西はカッパドキア,東はバクトリアまで版図を拡大し,新バビロニア・リュディア・エジプトとともにオリエントの勢力を分け合ったが,王国内の統治組織がそれに伴わず,その上次王アステュアゲス(在位前585〜前550)の暴君的な政治によって,イラン高原諸民族の支持を失い,前550年メディアは,臣下のキュロス2世(アケメネス朝ペルシア帝国の創立者)によって滅ぼされた。メディア王国に関する文献史料は乏しく,また遺跡の発掘も不十分であるため,この王国の制度や文化についてはまだあまりよくわかっていない。