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●明和事件 めいわじけん

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 この事件は宝暦事件とともに,江戸時代中期におこった最初の尊王運動で,幕府は山県大弐藤井右門を死罪に処した。山県大弐は甲斐国出身で,敬義派儒者で神官でもあったが加賀味桜塢,および徂徠学派の儒者五味釜川に師事し,1756年(宝暦6)江戸に出て塾を開き,その門下は盛大であった。儒学・神道・兵学などに通じた大弐は,1759年(宝暦9)『柳子新論』を著し,日本の歴史や思想を論じたが,幕府から疑いの目でみられた。大弐の弟子,上野国小幡藩家老吉田玄蕃が,ゆえあって大弐の兵学が幕府を傾けるものと,1766年(明和3)に讒訴し,同志藤井右門とともに1767年(明和4)に処刑された。藤井右門は越中国に生まれ,1745年(享保20)京都に遊学して竹内式部と知り,尊王論を説いた。竹内式部は1758年(宝暦8)の宝暦事件により重追放になり,藤井右門も連坐したが,江戸に逃れて大弐の家に寄宿していた。式部は,のち,右門との関係から,再び罪されて遠島に処せられた。