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●明治14年の政変 めいじじゅうよねんのせいへん

アジア 日本 AD1881 明治時代

 1881年(明治14)明治政府の筆頭参議だった大隈重信一派が,憲法制定・国会開設,それに北海道開拓使の官有物払い下げの疑惑などにおける対立が原因で,政府から一掃された政変をいう。1880年4月,国会期成同盟の成立および国会開設の請願は,ブルジョワ革命的情勢を含んでいた。右大臣の岩倉具視らは欽定憲法の調査を上奏し,各参議に意見を述べさせることに決めた。1881年3月大隈は,政党官と永久官を区別した政党内閣制,本年中に欽定憲法制定,2年後に国会開設を上奏し伊藤博文らと衝突した。また北海道開拓使長,黒田清隆の官有物払い下げ,1,400万円の国費をかけた事業を,38万円無利息30年賦という条件で薩摩生まれの政商五代友厚らの関西貿易商会に払い下げるという決定にも大隈は反対し,反大隈の薩長派は大隈・福沢諭吉・三菱の反政府陰謀説を口実に大隈一派を政府から追放した。