●名士会 めいしかい
ヨーロッパ フランス共和国 AD1527 フランス王国
フランス国王の国政諮問機関。国王が重要決定を下すときや国内の支持を必要としながら全国三部会の召集を避けたいとき,国王の任命になる名士で構成される会議。人数・該当者は定まっていないが,高位聖職者・大貴族・高等法院などの上位官職保有者・廷臣・特権都市の市長から構成され,王族は部会の議長となった。1527年,フランソワ1世が,フランドル・ミラノなどの領地を神聖ローマ皇帝に与える約定(マドリード条約)を履行しない方針を支持させようとしたときが最初といわれる。その後,1560年,フランソワ2世がユグノーの法規の作成に関して,1596年アンリ4世が国内宗教問題に関して召集した。1617年は,マリー=ド=メディチとリュイヌ宰相が,1614年全国三部会の議題すなわち三身分の陳情書の処理・国務会議の構成などで召集したが,官職世襲税の一時的廃止を決めただけにおわった。1625年のそれはリシュリューの外交政策に同意を与えた。翌年末は陸・海軍政策への支持,年金削減,反徒の重罰に同意。このとき総財務官が一人加わったのが特徴。最も重要なものは1787年と1788年のそれで各々,カロンヌ財務総監・ネッケル財務長官により諮られた。前者は王国賦役の廃止などには賛同したが特権身分も課税される補助地租と地方議会の設置をめぐり,強い反対を表明。アルトワ伯など保守派とブリエンヌ・ラファイエットなどの自由派の両方から挟撃され,カロンヌは失脚した。次いでブリエンヌ財務大臣が国政担当者となると名士会は高等法院とともに全国三部会を要求し,1788年11月,ネッケルが三部会の構成・召集方法・選挙法に関し32名のメンバーを交代させ,かつ新たに若干名を加えて審議を求めた。内訳は王族7名,高位聖職者15名,大貴族37名,国務会議構成員12名,高等法院など上位官職保有者(シャトレー総代官も含む)39名,州三部会代表19名,市長24名といわれている。このうち第三身分は5名。部会は六つに分けられ,そのなかでプロヴァンス伯が率いる第一部会が比較的自由主義的で,第三身分議員の倍増に同意した。ラファイエットはこのとき,第二部会に属し,倍増に賛成したが合同討議には反対した。