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●室鳩巣 むろきゅうそう

アジア 日本 AD1658 江戸時代

 1658〜1734(万治1〜享保19)江戸中期の儒学者。通称と本名は新介直清,字は師礼,鳩巣は号,別号は滄浪。父玄樸(号は草庵)は医者。母は平野氏。鳩巣には2男4女がある。武蔵国豊島郡谷中村に生まれる。1672年15歳で加賀藩に出仕し順祥と号する。藩主前田綱紀に『大学章句』を講じて賞賛を受け,京都遊学を命ぜられる。木下順庵に師事して朱子学を学ぶ。また羽黒養濳に闇斎系朱子学を学ぶ。江戸に帰り,1686年29歳で金沢に移る。養濳の金沢転居に伴ない,つねにその教えを受ける。1702年45歳,朱子の説を忠実に注釈した『大学章句新疏』をつくる。翌年,『赤穂義人録』を著し,赤穂浪士の行動を賛美。 1711年54歳,同じ順庵門下の新井白石の推せんで幕府出仕。このころ白石に隠退をすすめる手紙を送る。1716年7代将軍家継死去,吉宗8代将軍就任に伴い,白石は退けられる。吉宗は林鳳岡が主宰する湯島聖堂の講席が沈滞しているのを不満として,同年鳩巣59歳のとき,鳩巣はじめ順庵門下の儒者を登用して高倉屋敷を設け,聖堂とは別に講席を開かせた。しかし,この学館も振わなかった。1722年,新設された殿中侍講に任ぜられる。1725年68歳のとき,西城侍講(西丸奥儒者)に転ずる。鳩巣は朱子の学説を忠実に順守しようとし,陽明学・仁斎学・狙徠学を批判した。また同じ朱子学であっても闇斎学を批判した。鳩巣は幕府中心主義で,将軍を王と呼んだのである。主著は,『周易講義』『太極図述』『駿台雑話』『献可録』『兼山麗沢秘策』など。