●村田清風 むらたせいふう
アジア 日本 AD1783 江戸時代
1783〜1855(天明3〜安政2)江戸後期の長州藩士。通称は亀之助・四郎左衛門,のちに織部。本名は順之・保之,のちに清風。号は東陽・松斎など。年少のときから藩校明倫館で朱子学を学び,また大寧寺の素明和尚について禅修行をする。武家道徳の支持者で,とくに藩権力の強化を志した。藩の財政危機と天保大一揆を契機にして,藩主毛利敬親は,1838年清風を仕組掛に,ついで1840年当役用談役に登用して藩政改革にあたらせた。清風は,国産方を設置し免札制を実施して専売制を再編し,代官の権限を強化し,地主・村役人層が小百姓の未進年貢を借替することによって土地集積をはかることを禁止し,藩士の借金を藩が肩代わりするかわりに元金を37年間すえ置く「三七ケ年賦皆済仕法」を実施した。これを天保改革という。清風は1843年,「皆済仕法」に対する町人層の抵抗が直接の根拠になって,退陣する。清風の著作は,『村田清風全集』に収められている。