●村上天皇 むらかみてんのう
アジア 日本 AD926 平安時代
926〜967年(延長4〜康保4)醍醐天皇の皇子。母は藤原基経の娘中宮穏子。名は成明。940年(天慶3)加冠して三品となり,942年上野太守,943年大宰帥,944年朱雀天皇の皇太弟となり946年即位。949年(天暦3)藤原忠平死後摂関を置かず,親政をしいた。正史編さんのため撰国史所別当を任命,皇朝十二銭の最後の乾元大宝を鋳造している。政治の得失を論じさせ,954年(天暦4)菅原文時の意見封事が出,[1]奢侈の業,[2]売官の停止,[3]外客厚遇の主張を採用している。常平所・和歌所を設置し,『後撰集』の撰集などを行った。これらの一連の政治は,摂関政治のあいだにあって,天皇親政につとめ,善政を敷いたこと,後代とくに延喜における政治と比較されて,天暦の治と称され,南北朝にいたって後醍醐・後村上がしたう公家一統のモデルとなった。しかし一方,盗賊・悪疫・水旱に悩まされ,政治支配は永続きせず,天皇は文学と和歌・琵琶に生きる。日記『天暦御記』がある。
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