●村切り むらぎり
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近世初期の検地を通して,領主が新たな行政単位としての“村”を設定するために行った政策。近世村落は,中世的な名主層の同族的結合の単位であった惣村(郷・庄保)を解体すると同時に,農民の基本的共同体であった聚落を地縁的に合併することにより,行政的に設定されたものであった。そのため近世初期の村では,村の耕地の保有者は必ずしも村民ではなかった。村切りは,この入組関係を整理し,耕地保有者と耕地を同一の村へ帰属させる政策であり,名主職(みょうしゅしき)など複雑な中世的年貢収取関係を撒廃し,村請年貢制に一本化する方針と同一線上ですすめられたものである。具体的な政策は時期により違いがあり,文禄検地など当初のものは,郷・惣を分割し,単に“村”を地域的に定めるにとどまっていたが,しだいに耕地保有関係に立ち入るものとなり,寛文期(1660年代ごろ)には,耕地の散り懸りの整理や,秣場(まぐさば)の帰属村の決定などが,積極的におしすすめられるようになった。