●ムラヴィヨフ
NIS諸国 ロシア連邦 AD1809 ロシア帝国
1809〜91 ロシアの政治家・海軍大将。1836年よりトゥーラ県などの県知事を歴任。1847年イルクーツク県知事となり,初代東シベリア総督に就任,黒龍江沿岸地方への進出を企図し,ネヴェリスコイ少佐に同地方を探検させ,1850年8月現在のニコライエフスクを建設し,1852年以降樺太経略をも推進した。1853〜56年のクリミア戦争でイギリス・フランス艦隊が極東のロシア軍基地に攻撃を加えたのを機に,政府内の反対派を押さえ1854〜58年数回にわたり艦隊を黒龍江に派遣した。そして事実上黒龍江地方を占領,清を圧迫して1858年アイグン条約を結ばせ黒龍江以北の地を獲得し,アムールスキー伯の称号を得た。1860年にはイグナーチェフと協力して北京条約により沿海州を得,ウラジヴォストークを建設,極東支配を強化。1858年(安政5)日露修好通商条約批准交換と樺太境界画定のため来日したが,樺太領有のことは成功しなかった。1861年東シベリア総督を辞任し,中央政治にかかわったが,1891年パリに客死。
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