●ムフタールの乱 ムフタールのらん
アジア イラク共和国 AD685 ウマイヤ朝
685〜687年,イラクのクーファにおけるシーア派政権の呼称。乱の指導者ムフタールの名に由来する。かれは,フサイン殉教後のシーア派運動を継承し,アリーとハニーファ族の女とのあいだの子,ムハンマド=ブン=アルハナフィーヤをイマームにしてマフディー(救世主),自分をその政治権力の代行者,ワジールとしてクーファのシーア派を掌握した。イブン=アッズバイルの乱の混乱に乗じ,クーファ総督を追放して当市を中心とする政権を樹立した。フサイン殺害に加担した者を処刑する一方,政権の安定と拡大をはかるため,非アラブ=イスラーム教徒を一軍に採用し,これにアラブの特権であった俸給を支給した。アラブ,とくに貴族層はこれをアラブの特権を犯す行為として非難して彼から離れ,結局イブン=アッズバイル軍との戦いで死んだ。この乱の意義は,政争にはじめて非アラブが主役を演じたことと,マフディー=イマーム観念が生れたことである。