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●無敵艦隊 むてきかんたい

ヨーロッパ スペイン AD1588 スペイン王国

 フェリペ2世(在位1556〜98)の治世は,スペインの繁栄が絶頂に達した時代である。まずイタリアをめぐるフランスとの戦争に勝利し,1559年カトー=カンブレッジ条約で,フランシュ=コンテとナポリを獲得した。1571年にはレパントの海戦で,スペインとヴェネツィアの連合艦隊はトルコ艦隊を撃滅し,トルコの地中海支配権に深刻な一撃を与えた。1580年にはポルトガルの併合に成功した。しかし一方では,フランスとの敵対関係,教皇との対立,イスラーム教徒とプロテスタントの反抗を継承し,ネーデルランドの反乱を処理しなければならなかった。したがってヨーロッパにおけるスペイン帝国主義は孤立していた。スペインは,ヨーロッパにおける優越した地位を保持するために,半島や海外の領土の資源を投じて絶え間ない闘争に明け暮れた。しかし,1570年ごろまで,フェリペ2世の努力は順調に報いられた。

 1572年,フランス王位継承におけるプロテスタント派の優位を憂慮したフェリペ2世は,アンリ=ド=ギーズをリーダーとするカトリック=リーグと同盟し,ネーデルランドにおけるスペインの支配権を彼らに認めさせた。彼はかねがねギーズ公のフランスと,スコットランドの女王メアリーのイギリスが同盟を結ぶことを恐れていたので,イングランドの女王メアリー=チューダーと結婚した。だがエリザベス朝になると,エリザベスは,スペインの艦隊をイギリスの海賊にしばしば襲撃させてフェリペに挑戦した。一方,フェリペはギーズ公と協力して,イギリスに対して反乱をおこしたアイルランドを援助した。1584年エリザベスは,フェリペの大使を追放し,オランダ独立戦争をおおっぴらに援助した。

 ネーデルランドは,スペイン帝国の領地のなかでも経済の中心で,王室財政の収入源であった。16世紀中葉カルヴァン主義が勤労的な中間層に歓迎され,スペインの植民地主義的・カトリック的政策に反抗し,1559年,まず南部で反乱がおこった。アルバ公は2万の軍勢を率いて宗教的弾圧を行い,南北17州がいっせいに蜂起し,1568年独立戦争がおこった。南部10州は,自由を保障されて戦争を終結させたが,北部7州ユトレヒト同盟を結んで独立戦争を継続していた。

 フランスのギーズ公と結んだフェリペ2世は,オランダを公然と支援するイギリスを打倒するために,イギリス本土に対する襲撃を計画した。リスボンとスペインの北部で,大艦隊が編成された。だが,1587年の初頭,ドレークはリスボンとカディスの造船所を攻撃し,艦隊の出港を1年遅らせるほどの被害を与えた。1588年5月ついに無敵艦隊は3万人の船員を乗せてイギリス進攻を期し出帆した。しかし嵐のために,まずコルーニャに寄港を強いられ,ドーバー海峡を運航中イギリス艦隊に襲撃され,無敵艦隊の半数以上がイギリスの北部とアイルランドを一周して,よろめきながらスペインへ帰った。このため3分の1にあたる63隻は行方不明,あるいは沈没したという。このような不幸な条件によって,プロテスタントに対する聖戦を行っているというフェリぺの使命感は揺らいだ。

 無敵艦隊の敗北は,スペインにとって不吉な前兆となった。ヨーロッパ海域における支配権を,北のプロテスタント諸国に奪われたからである。オランダの各地方は独立権を確保し,17世紀にオランダ船は,アジアや新大陸のスペイン・ポルトガルの植民地を襲い,アムステルダムはヨーロッパの新興商業中心地となった。

 フランスにおいては,無敵艦隊が敗れた年に,プロテスタントの王位継承者に対立するカトリックの首脳として,過去4年間フェリぺ2世の援助を受けてきたギーズ公が殺害された。フェリペ2世は,フランスの王位も狙ったが失敗した。

 フェリペ2世は,その軍事的組織をあまりに広大な地域に展開したために,財政的破綻を繰り返し,ついには衰亡の一路をたどった。ネーデルランドにおける戦争と無敵艦隊は,フェリペの重大な過失であった。国外の債務が増し,国内の赤字財政はいっそう深刻になり,国民は重税にあえいだ。また無敵艦隊をはじめとするフェリペの大事業は,人的資源の面でも大きな犠牲を強い,カスティリャの人口は激減した。