●陸奥将軍府 むつしょうぐんふ
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建武政権が陸奥国府多賀城に設置した大国府体制をいう。北畠顕家(きたばたけあきいえ)が国司に鎮守府将軍を兼ね,義良親王を太守に戴き,ほとんど鎌倉幕府体制に近いような式評定制度をとり,これを主宰する北畠の地位を鎮守大将軍と称したので,この国政機関を「陸奥将軍府」という特別な名で呼んでいる。1333年(元弘3),鎌倉幕府を打倒した後醍醐天皇の建武政権は,中央における新体制とともに,とくに東国においては,鎌倉幕府後,これに代わる新政権の藩屏を奥州に置き,非常のときは,東国一円における指揮をも委ねる大政庁を多賀国府におこした。親王太守と北畠顕家の威望により,奥羽の武士は南朝方によく組織されたが,1338年(延元3)の顕家の戦死後は,振わなくなり,北朝方の奥州管領・奥州探題に圧倒され,多賀国府も追われて,その実を失ってしまった。〔参考文献〕中村孝也『北畠顕家卿』1938,奉賛会
佐藤進一『日本の歴史』9,1965,中央公論社