●ムソルグスキー
AD1839
1839〜81 ロシアの作曲家。ロシア国民楽派の代表的作曲家で,バラキレフ・ボロディン・リムスキー=コルサコフ・キュイとともにロシア5人組と称されるクループの一人である。彼はロシアの貴族の血を引く地主の末子として生まれた。母親に6歳からピアノの手ほどきを受け,10歳のとき一家でペテルブルクへ移ったとき,チャイコフスキーの師として知られるヘルケにピアノの指導を受け,急速に上達した。士官学校を卒業して近衛連隊に入り,ボロディンおよび当時すでに活躍しており,ロシア国民音楽に力を注いでいた作曲家であるダルコムイシスキーと知り合い,彼のサロンを通じてキュイ・バラキレフと出合う。ムソルグスキーはそこで初めてバラキレフに作曲の指導を受ける。初めて作曲家として認められた作品は,1858年に作曲した「スケルツオ 変ロ長調」で,1860年ペテルブルグのロシア音楽協会での演奏会で,アントン=ルビンシュテインの指揮で初演された。1860年代ロシア帝国はクリミア戦争の敗北・農奴制の廃止という歴史的な大変革があり,地主であった彼の家も大きな影響を受け,生活に苦しむようになる。しかし幼いころから乳母を通して培われた性格,すなわち民衆への共感,貧しい農民への深い愛から自己の芸術を国民楽派の作曲家として確固たらしめていく。その作品にはロシア農民の生活を描くものが多い。また祖国のことばと音楽を重視した独特のリアリズム的表現を追求し,1864年に一連の歌曲集「カリストラトゥシュカ」において,農民への愛情をうたっている。そこにはヨーロッパ音楽とはっきり一線を画したロシアの民族性がうかがえる。そしてその思想の集大成として,有名なそして代表作ともいえる歌劇「ボリス=ゴドノフ」を1868年に完成させた。多くの作品のなかでも友人の画家ハルトマンの遺作展覧会の印象を描いたピアノ組曲『展覧会の絵』,リムスキー=コルサコフ改作の管絃楽曲「禿山の一夜」,晩年の歌曲「蚤の歌」などが有名である。母の死,5人組との芸術上の対立,そして貧困による孤独感などにより,軍隊時代におぼえた酒に溺れるようになり,42歳という若さで陸軍病院で息を引き取った。彼は何回かの誘いにもかかわらず,ロシアの地から一歩も出たことはない。しかしその音楽はのちのロシアの音楽にはもちろん,ドビッシーら西欧の近代音楽にも大きな影響を与えている。〔参考文献〕音楽之友社編『大音楽家の肖像と生涯』1983
浅香淳編『標準音楽辞典』1979,音楽之友社
下中邦彦編『音楽大辞典』1982,平凡社