●ムスリム同胞団 ムスリムどうほうだん
アフリカ エジプト・アラブ共和国 AD
20世紀,エジプトを中心に発展したイスラーム主義的アラブ民族主義団体。【成立と発展】1929年,エジプトの中学校教師だったハサン=アルバンナーを指導者として,エジプトのイスマーイーリーヤで結成されたが,1933年,本部はカイロに移った。1930年代から1940年代を通じて,都市の労働者・職人・小商人・学生のあいだに浸透して支持者を得た。アルバンナーは同胞団を〈サラフィーアの一つ,オーソドックスな道,スーフィーの一つの実現,政治団体,体育グループ,科学文化協会,経済的商社,社会的理想〉と規定したが,同胞団は現代生活のあらゆる面において,イスラームの徹底化を主張している。そして,コーランを憲法とするイスラーム国家の建設と社会主義の実現を目標とし,イスラーム共同体内部に生じた腐敗・堕落を排除することを求める。核→細胞→家族→軍団と発展するピラミッド型の集団組織をもち,各レベルの集団にはそれぞれ指導者がいるが,頂点にアルバンナーが立ち,ムルシドとして集団全体を統括した。同胞団は秘密結社として組織され,イルティハームという入団儀式が行われた。団員は試験と身体検査によって昇格し,特別の訓練や宣誓をも求められた。世界大恐慌・パレスチナ紛争(1936〜39)・第二次世界大戦を通じて,その組織は拡大強化された。第二次世界大戦後には,団員約50万人を擁し,エジプト最大の政治勢力となった。シリア・パレスチナ・ヨルダン・イラク・スーダン・マグリブ諸国・エリトレアにおいても,それぞれ独自の同胞団が成立したが,エジプトの同胞団は,パレスチナ紛争の過程で積極的に活動し,第二次世界大戦後はエジプト民族運動の中心となった。そして,首相ら要人の暗殺・爆破事件などテロ活動を行い,また,反イスラエル・反英のジハード運動に大衆を動員した。これらの運動においては,イスラーム神秘主義を媒介とするヒエラルヒー・熱狂的大衆動員・イスラーム社会主義の主張などがみられる。
【同胞団と自由将校団】1949年,アルバンナー暗殺後,ハサン=イスマーイール=アルフダイビーが団長になった。そして,同胞団は政府の弾圧のもとで,1952年ナセルら自由将校団による軍部クーデタを醸成した。同胞団と密接な関係にあったサダトらを中心とする自由将校団は,権力掌握直後,微妙な対同胞団政策をとった。しかし,1953,54年,同胞団が対英交渉をめぐって反ナセル運動を展開すると,1954年1月,解散令が出された。また同年10月,ナセル狙撃事件がおこると,同胞団は弾圧され,その組織は解体された。それにもかかわらず大衆のあいだには,同胞団の思想的影響が根強く残っており,解体後もサウディ=アラビアに本部を移して,再組織化の運動がすすめられた。1976年に機関誌「ダーワ」が復刊されたことは,同胞団の活動が事実上公認されたことを物語っている。そして,同胞団はイスラーム法の実施を求め,政府がイスラエルとのあいだに平和条約を締結すると,政府批判を行い,同胞団を乗りこえようとするタワフィール=ワルヒジュラなど,新たな運動もおこった。このような状況のなかで,サダト政権末期(1981)に,同胞団は左翼やコプトとともに弾圧された。1970年代末からシリアでも,同胞団はアサド政権と鋭く対立したが,ここでも押さえ込まれた。
【同胞団の影響】同胞団の立場はきわめて保守的なイスラーム復古主義と過激な民族主義とに見出される。アラブ諸国の民族主義運動の指導者のなかには,一時期ムスリム同胞団の影響を受けた者も少なくないが,各国の政権にとっては,絶えず無気味な右翼過激派と見なされている。
〔参考文献〕中岡三益・板垣雄三『アラブの現代史』1959,東洋経済新報社
林武『現代アラブの政治と社会』1974,アジア経済研究所