●ムスリム商人 ムスリムしょうにん
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ムスリムとはイスラーム教徒を意味するアラビア語である。ヨーロッパで中世封建社会が成立し,はなやかに展開された8世紀後半から12〜13世紀ごろ,イラン地方を中心にアッバース朝(751〜1258)が成立した。その優れた高度な文化は広大な領域と相まって西はイベリア半島からヨーロッパへ,東は中国にまでひろがり大きな影響を与えた。このイスラーム文化の伝播・拡大に寄与したのがムスリム商人である。ヨーロッパでは16世紀初めの宗教改革まではカトリックの教義のもとに金貨しを強く戒め,商業行為を軽視する風潮があった。しかし,イスラーム教はそのようなことがなかっためムスリム商人は東西貿易を独占し,その利益がイスラーム諸国家をうるおし,また東西交流をうながした点で,その意義はきわめて大きかった。海上貿易では751年にアッバース朝が成立するとムスリム商人の活躍が目立つようになった。バスラ・ウブッラ・シーラーフなどペルシア湾に面した港を根拠地として船体に釘を使わないで縄と脂のようなものでかためた特殊な小型船を使用し,インド洋に進出した。初めにインド南端のクーラムに寄り,そこからシンハラ国(セイロン島)・マレー半島西岸のカラーフ,さらにマラッカ海峡を通過したのち北上して広州に到着するのである。ムスリム商人の貿易は中継貿易であり,おもに輸送する品物はインドでは香料・チーク材・宝石など,中国では絹織物・陶磁器・香料などであり,これらの品々はバグダードに集められた。集められた商品は北方やアフリカにむけて運ばれ,金や黒人奴隷などと交換された。陸上交通路を利用した貿易はバグダードを出発してハマダーンからカスピ海南岸をへてメルブ・ボハラ・サマルカンドにいたる北東ホラーサーン街道を利用して行われ,やがてシルクロードと結びついて中国にも進出した。地中海進出については制海権を確保することはできなかったが,イベリア半島におけるイスラーム国家の貿易の寄港地としてチュニス・サブタ・イスカンダリヤなどが栄えた。そして,そこからアフリカの内陸国家へと通じるルートがあり金・黒人奴隷を求めてムスリム商人は進出していった。このようなムスリム商人の広範な活動の中心はアッバース朝の衰退とともに,しだいにファーティマ朝(909〜1171)の都であるカイロに移った。この動きを促進させたのが十字軍遠征である。イェルサレムをめぐるキリスト教世界とイスラーム教世界の抗争は,それまでの中継貿易のコースを紅海経由のインド洋進出に変更させ,その起点としてのエジプトの重要性が増したのである。しかし,このムスリム商人の活躍も15世紀に始まった新航路の発見によってヨーロッパ人が東洋と直接取引き始めるとしだいに衰えていった。このようなムスリム商人の広範な活動は単に経済活動のみに終始したのではなく布教活動とも重なっていた。イスラーム教の布教には二つの方法がとられた。一つは武力(ジハード)による方法であり,他は通商や植民に伴なって平和的に布教する方法であったが,ムスリム商人は後者の方法で広く活動したのである。ムスリム商人の活躍は布教と文化の伝播,さらにイスラーム国家を経済的にうるおしただけでなく,ときには一つの国家の建設に大きな影響を与える場合もあった。たとえばモンゴル人の元朝建設においてムスリム商人の果たした役割はきわめて大きい。色目人(しきもくじん)として元朝の支配機構に組み込まれたムスリム商人は政治的安定と隊商路の安全と自由を保障されて大きな利益を得た。一方,その代償として必要な物資と,周辺国家の詳しい情報をムスリム商人が提供してくれるという点で元朝政府(モンゴル人)も利益を享受した。このようにムスリム商人はその広範な活動を通して経済的だけでなく政治的にも大きな影響を与えたのである。〔参考文献〕藤本勝次「イスラム商人」世界歴史3,1966,人文書院
家島彦一「イスラム商人の活躍」世界歴史シリーズ9,1968,世界文化社