●武者所 むしゃどころ
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(1)院の武者所。上皇の家政機関である院司の一つ。上皇の御所を警固し,また上皇御幸の供奉にあたる武者。その候所より転化した名称で,“武者”とも“所”ともいう。『小右記』(藤原実資の日記)985年(永観3)2月1日の記事を初見とする。すなわち,円融上皇が,院の武者所10人に弓箭を帯せしめたものである。当時上皇といえども,任意に武装させることはできなかったので,上皇より花山天皇に申請して宣旨によって許されたもの。在位中の蔵人所の滝口から転補され,その員数も10人から30人におよび,役所を武者所庁とも称した。(2)建武新政府の武者所。新田氏一族をその頭人として京都の警衛に任じた。『建武記』1336年(延元1)4月の記事に,長井・大友・三浦・小山・千葉・小早川その他鎌倉幕府以来の豪族諸家や楠木・名和一族など64人を,6番に分けて交替制としたことがみえる。また1334年(建武1)5月には,「武者所輩可存知条々」として,服装の規定をこまかく定めている。