●明律 みんりつ
アジア 中華人民共和国 AD1367 元
中国,明朝の基本法典の一つ。朱元璋は,明朝建国前の1367年(呉1)に李善長らに命じて令とともに285条から成る律を制定したが,1373年(洪武6)に劉推謙らに命じてこれを唐律にならって修定し,翌年,30巻12篇606条の構成をもつ『大明律』を定めた。その後も不適当な条項の増損,条文の整理が1376年(洪武9),1383年(洪武16)と続けられ,1389年(洪武22)に至って30巻406条とした。各例律のほか,吏・戸・礼・兵・刑・工の七律をもち,五刑・獄具・六贓・喪服・在京納贖・在外納贖・収贖鈔などの図をもつ。この洪武22年律の条文の出入などを整えて1397年(洪武30)に頒示したものが,今日一般に流布している『大明律』で,明代最後のものでありその構成は洪武22年律に同じである。明律は,基本的に唐律の体系を踏襲しながら宋・元の刑法の影響を受け清律に継承された。洪武30年律の律文はその後変更が許されなかったので,時とともに生ずる現実とのギャップを補うために条例が定められて,律の内容の実質的変更が行われた。条例は太祖の在位中から定められていたが,体系的には1500年(弘治13)の『問刑条例』273条を初めとして,1549年(嘉靖29)・1585年(万暦13)などに重修され382条が現存する。太祖は律の意が民間に徹底し犯罪者の少ないことを願って,その義を訓釈した『律令直解』などを作成させ,さらに刑法事例集である『大誥(御製大誥)』『大誥続編』『大誥三編』『大誥武臣』を親しく撰して,文武官民の犯法を防止しようとした。後に何広『律解辯疑』・張楷『律条疏議』などのほか,『明律集解附例』のような註釈書もつくられた。明律は,日本の江戸時代の藩法や琉球の中山国・朝鮮の李朝・ベトナムの大越国の法に影響を与えているので,日本や朝鮮でもその注釈書が作成・刊行されている。