50音順    検 索

●(1/2)

AD 

民族資本(2/2)を見る◆

民族資本 みんぞくしほん

【問題の所在】民族資本主義とは,植民地および半植民地における土着資本の経営する商工業を意味し,民族資本・民族資産階級なども,その資本・階級をさしている。中国工商行政管理局中国科学院経済研究所資本主義経済改造研究室編『中国資本主義工商業的社会主義改造』(1962,人民出版社)には,「半植民地・半封建社会の民族資本主義経済」という一章を設け,アヘン戦争以来の経済の推移を述べている。しかし,実際には中国における資本主義の発達を述べているのであって,民族資本主義だけを取り上げた論述にはなっていない。元来,“経済学”の問題として民族資本を規定することは困難である。大資本と中資本と小資本,農村資本と都市資本,浙江財閥山西財閥買弁資本官僚資本などと民族資本との異同を明確に示すことは不可能だからである。圧倒的に強大な外国資本のなかで,また資本と労働の面で封建体制の癒着が不可避な状況の下で,中国人が古典的な近代的企業を起こすことなど考えられないのである。民族資本とその経営者である民族資産階級が歴史に登場してくるのは政治問題としてであって,新民主主義革命における民族統一戦線の同盟軍の問題であった。毛沢東は労働者と農民だけで革命を成功させることはできないと考えた。実際にソヴィエト区なり辺区なりの政府主席に任じてみると,商工業者の協力を受け,さらに資本主義経済を活用するのでなければ辺区は経済的に瓦解してしまうことを知ったからである。今堀誠二『中国の民衆と権力』(1973,勁草書房)には,中共側資料によってそうした点を論証している。問題は民族統一戦線のなかに,どんな方法でブルジョワジーを組み込んでいくかにかかっていたのである。民族資本主義の問題は,レーニンおよびスターリンが提起している。中国でも彭述之『中国革命の根本問題』(1928,中国共産党刊)は,民族資産階級が反帝反封建であっても,改良主義の立場をとるから,労働者農民とは敵対関係にあるので革命の同盟軍とはなり得ないと述べている。毛沢東『中国社会各階級の分析』(1926,汕頭書店)の発表は彭述之より古いが,言うところの「民族資産階級」とは中産階級のことで,華資銀行商工階級・小地主・知識分子がこれに含まれる。その政治的主張は国家主義であり,載季陶に代表される通り,反帝反共の立場をとると述べている。当時の毛沢東は階級の概念を理解していなかった。たとえばその民族資産階・級には小地主などが含まれ,民族ブルジョワジーとは全く別の概念であった。ただ,新三民主義に基づき,統一戦線の対象として考えられた存在であることに意義があった。

新民主主義革命と民族資産階級】中国共産党は1935年8月1日に抗日救国統一戦線の呼びかけを行っている。コミンテルンの人民戦線戦術に基づくことは言うまでもない。この後で出た毛沢東「日本帝国主義に反対する戦術について」(1935.12)では,民族商工業の経営者である民族資産階級について,かなり詳細に論じていると考えられる。ただこの論文は,現在,発表当時の原文が発見されておらず,現行の毛沢東選集に収められた文章には加筆や訂正のあとがうかがわれるので,ここでは深入りを避ける。「中国革命戦争の戦略問題」(1936.12。1947,中共晋察冀中央局編印毛沢東選集続編所収。以下本書を「続編」と略す)では,ブルジョワジー(資産階級)を大資産階級と民族資産階級に分け,どちらも革命に参加することはあってもその勝利は望まない。ただ民族資産階級は反帝のゆえに,大資産階級に比べれば革命に加わる可能性が高い。国民党(中国)は民族資産階級の政党であって,1925〜1927年の革命戦争に協力しまた影響を与えている。1928年以降のソビエト革命では,民族資産階級は大資産階級の追随者となった。現在の革命は,プロレタリア階級と中国共産党が農民・小資産・資産階級を指導して進めているが,資産階級の動揺性と不徹底性を克服し得た場合にのみ勝利を収めることができると述べている。民族資産階級を中小ブルジョワジーと規定し,その政治的代表を国民党とし,彼らを統一戦線に加える必要性を認めつつ結果についてはむしろネガティヴに考えていることがわかる。「上海太原陥落後の抗日戦争の形勢と任務」(1937. 11)は抗日民族統一戦線論を具体的に展開した論文として重要である。原文は閲読していないが,1981年7月,北京の中国革命博物館に陳列されていた『六大以来選集』のなかにこの論文が収められていて,字数が約5,300であることがわかった。陳列ケース越しに見ただけで厳密に正確とは言えないが,現行の毛沢東選集本が約7,000字(注を除く)だから,収録に当たってかなりの改訂増補が施されたと思われる。したがって論及を控えたい。「共産党人発刊のことば」(1939. 10。続編所収)には,中国共産党18年の歴史のなかから,統一戦線についてどんな法則があるかを述べたくだりがある。[1]中国に対する最大の抑圧は民族的抑圧である。民族資産階級は一定の時期,一定の程度,反帝反封建の闘争に参加する可能性がある。[2]民族資産階級はその経済的・政治的脆弱性のゆえに,統一戦線に加わっていても,環境がかわると動揺し変節する場合が生じる。だから統一戦線の内容は終始同じものではなく,変化を生ずることが予測される。[3]資産階級の動揺性については,資産階級とくに大資産階級は統一戦線に参加し,無産階級とともに同一の敵に対する闘争を進めているときでも,無産階級とその政党の思想上・政治上・組織上の発展に対しては,自分たちにとって不利だとみなして制限を加え,欺瞞・誘惑・吸収・打撃などの破壊政策をとり,またこうした政策で敵に投降したり統一戦線を分裂させる準備を行うものである。[4]無産階級の堅固な同盟者は農民である。[5]都市の小資産階級もまたたよりになる同盟者である。以上の法則は,大革命の時期および10年の内戦の時期に証明されただけでなく,3年の抗日戦争においても証明されつつあると述べている。この論文では抗日戦争第3年目に入った段階において,民族資産階級を統一戦線に引きとめておくことが共産党の義務だと主張するとともに,資産階級とくに大資産階級が戦線を離脱する危険性を警告しているわけである。そこではイギリス・アメリカの買弁的ブルジョワジーや国民政府が,帝国主義国家間の衝突に基づき,抗日統一戦線を支持しているといった指摘は何もなされていない。実はこの指摘については,現行選集ではこうした趣旨の一文を書き加えているわけである。しかし原文は,大資産階級が日本に投降する危険性が少なくないことを警告しており,論旨は正反対になっている。当時は戦況が中国にとって不利だったばかりでなく,国・共の対立も表面化しかけていた時代だったので,毛沢東としては民族資産階級との同盟の維持に心を配っていたことがわかる。民族資産階級を重視する点は,「中国革命と中国共産党」(1939. 12)において,さらに体系化されている。この論文は,1944年の晋察冀日報社版の『毛沢東選集』(以下,「44年選集」と略す)と,1947年の中共晋察冀中央局編印の『毛沢東選集』(以下,「47年選集」と略す)に収められているほか,1948年には香港の正報社から,1949年には香港の新民主出版社および大連の新中国書局からそれぞれ単行本が発行されている。なお,これらの原文と現行選集版の文章とは相当の出入りがある。原文によると,アヘン戦争以来,外国資本主義の刺激で封建経済の解体と資本主義生産の発生が見られ,19世紀の後半期には商人・地主・官僚が新式工業に投資し始めた。20世紀の初めに,中国民族資本主義が初歩的な発展を開始し,第一次世界大戦の時期には欧米の帝国主義が戦争に忙殺されていたため,中国の民族工業とくに紡織工業・製粉業・製糸業が発展することができた。紡織工場数は1913年の22から1922年には44に,メリケン粉工場数は1916年の67から107に,また同年には製糸工場が63となり,銀行も108に達した。中国の民族資産階級は商人・地主・官僚をその前身とし,半植民地半封建社会のなかで,帝国主義・封建主義の圧迫のもとに発展を遂げた。民族産業は中国の政治と文化に一定の作用を及ぼした。しかし,中国の社会経済の主要な形式とはなり得なかった。その力量は弱く,また外国帝国主義および国内の封建遺制とつながっていた。満州事変の後,民族工業の大部分は日本によって壊されたり略奪されたりして,中国の局面に大きい変化をもたらしたと述べている。この論文では中国のブルジョワジーを,資本の大小と買弁性の有無により大資産・民族資産の両階級に分けて考えている。大資産階級は各帝国主義国ごとにそれぞれ系列化され,また農村の地主ともつながりがあって共同して反革命の立場に立っている。民族資産階級は帝国主義と封建制の圧迫を受けているので,抗日戦争中は反帝・反官僚・反軍閥の立場を鮮明にして戦った。同時に,その脆弱性のゆえに帝国主義や封建遺制と結びつく可能性が高く,1927〜1931年の間のように,大資産階級・大地主に従って反革命に走ることも十分に懸念される。ただ,現在は大資産階級と違ってよき同盟者であり,したがってこの階層には慎重な政策をとることが必要だと述べている。この論文が民族資産階級の歴史とその革命に対する態度を鮮明に示したのは,毛沢東が現在の革命を資産階級民主主義革命,すなわち新民主主義革命と規定したことと深く結びついている。革命がプロレタリア社会主義革命でない以上,民族ブルジョワジーの役割を明確にする必要がある。中国革命の敵が帝国主義と半封建勢力である以上,すべての革命階級の統一戦線の結成が必要であり,労働者・農民・小資産階級のほかに民族資産階級の参加が課題となる。新民主主義革命においては,古いブルジョワ市民革命と違って,大資産階級の企業を没収しこれを国営の工場・商店とする。同時に大地主の土地を没収して農民の所有に移す。しかし,中小企業(=民族資本)は保護し富農経済は排除しない。この革命に当たって,民族ブルジョワジーの果たすべき役割は大きい。新民主主義革命が勝利を収めた後は,資本主義は相当の程度まで発展するわけであり,後進国の中国ではそれはどうしても必要である。こうした資本主義の担い手は,当然,反動の大資産階級ではなく民族資産階級に委ねなければならない。民族資本の役割を重視した新民主主義革命の理論こそ,「中国革命と中国共産党」の真骨頂なのである。意外なことに毛沢東自身は,「中国革命と中国共産党」において示した民族資本の位置づけをすぐに固定したものとして定着させはしなかった。この論文の次に発表した「新民主主義の政治と新民主主義の文化」(「中国文化」創刊号,1940. 2)は,解放社の単行本(1940. 3)で『新民主主義論』と改題され,新民主主義革命のテキストとして一世を風靡したわけだが,この論文には民族資産階級という文字は出ていない。この論文の第5節の〈新民主主義的政治〉および第13節の〈四個時期〉においては,資産階級・小資産階級(農民階級を含む)・無産階級の三階級が,革命または反革命に加わり歴史を担っていくという構成になっている。それは1940年に出た上述のテキストだけでなく,それが「44年選集」および「47年選集」に収められたときも,さらに1949年の新華書店版(北京版,5月。上海版,6月。広州版,9月。香港版,9月)および新民主出版社版(4月,5版。9月,6版)でも同様である。毛沢東は1940年1月に講演で発表,2月に公刊している上,「中国革命と中国共産党」が発表された後に作られた論文であることは確実なのに,民族資本や民族資産階級には触れていないわけだから,それが彼の意志であったことは明らかである。この論文の一節「新民主主義的政治」には,新民主主義国家の団体と政体について述べている。団体ではこの政権がブルジョワ独裁でもプロレタリア独裁でもない,すべての革命的階級の連合独裁の国家だと言い,政体では民主集中制について論じている。連合独裁の主体となる革命的階級としては,上記の三階級が挙げられており,民族資産階級は革命的階級に数えられていない。同じく一節の「四個時期」は中国革命史を人民の統一戦線の面からとらえて,四つの時代に区分できると言い各時代の特色を述べている。まず第1期(五四運動期)には共産主義的知識分子・革命的小資産階級の知識分子・資産階級の知識分子が,統一戦線を組んだのである。第2期(第一次国共合作期)は無産・小資産・資産の三階級が,統一戦線に加わった時期であった。第3期(1927〜1937年)には資産階級が帝国主義と封建勢力の構成する反革命陣営に寝返ったので,革命陣営には無産階級と小資産階級(農民と革命的知識分子およびその他の小資産階級)が残るだけとなった。第4期は抗日戦争の段階で,三階級がすべて同盟して日本帝国主義に反抗しているわけである。新民主主義論が統一戦線を主張しながら,資産・小資産・無産の三階級だけを問題にし,民族ブルジョワジーを取り上げていないのは新民主主義革命の理論から言って矛盾である。解放区は1940年から1942年にかけて大きな経済的困難に見舞われているが,その原因は民族資本と富農を軽視したことにあった。この新民主主義論の誤りは後に毛沢東自身が認めて訂正することになる。現行選集の「新民主主義論」では,原文が資産階級としていた所を,約半分,民族資産階級と書き改めている。中国の階級は民族資産階級を加えた四つとなり,このなかの統一戦線が問題にされているのである。もっとも書き改めたために,現行選集では,民族資産階級の概念が資産階級の一部分をさす場合や資産階級そのものをさす場合が生じ,かなり混乱した概念となっている。いずれにしても新民主主義論では民族資本への理解が不十分であった。民族資産階級に対する論及がない点は,「連合政府論」も同様である。これは毛沢東が1945年4月,中共七全大会で行った演説だが,「47年選集」や,新華書店発行の単行本(1949. 8, 華中版)・新民主出版社版毛沢東選集本(1949. 3, 5版)など,その原文のテキストを通じて民族資産階級という文字はまったく見当たらない。代わりに大資産階級と小資産階級の中間に,自由資産階級が置かれている。新中国の国家目標については,大地主と大資産階級の専制国家でも,自由資産階級の主張する旧式の民主主義専制国家でも,また社会主義国家制度の実現でもない。新民主主義国家だという。土地問題については,〈耕すものに土地を〉という政策をとるが,これは新民主主義の主張であって社会主義の主張ではない。この政策の実現に対し自由資産階級は動揺している。一面ではこれで市場が拡大するので賛成なのだが,一面では彼ら自身,土地につながりがあるのでその没収をおそれている。また,自由資産階級は,正面から資本主義を発展させよと主張する勇気がなく遠まわしにこの問題に触れている。それは大資産階級との競争に勝てないためである。このようにあらゆる点で脆弱なのがこの階級の特質である。自由資産階級の政党が孫文の国民党である。〈自由資産階級の政党は徹底した土地綱領をもたない〉と言ってその動揺性を批判している。孫文こそ土地政策を初めて提出した政治家なのだが,土地没収まで主張できなかったわけでそこにこの階級の弱さがあると言う。自由資産階級は連合政府論だけに見られる階級だが,その実体は民族資産階級に近いものである。しかも,あえて自由資産階級という概念を持ち出したのは,孫文と新三民主義を意識してのことであろう。連合政府論は,孫文思想の継承とその克服に重点を置いているが,孫文の階級的基盤を自由資産階級すなわち市民階級に置くことによって,孫文の主張するブルジョワ民主主義の限界を明らかにし,革命の指導原理には,新三民主義の代わりに新民主主義を据え,連合政府の指導権を国民党から共産党に移している。その合理性と必然性を主張することがこの論文のねらいだったわけである。しかし,連合政府論が民族資本に関して論及しなかったことは,新民主主義革命のなかで民族資産階級が果たすべき任務について適切な指示を行うことができなかったことを意味する。日本の敗戦と同時に,毛沢東は連合政府を作ることに失敗して国共内戦に突入することになるが,これには連合政府論の欠陥も影響していたのである。毛沢東は現行選集では自由資産階級をすべて民族資産階級に改めているが,もしも最初から民族ブルジョワジーを引きつけ得るような連合政府論を持ち出していたら,歴史の展開は違っていただろう。

 中国の新民主主義革命が理論的・実践的に軌道に乗ったのは,1947年以降の革命戦争においてである。当時の蒋介石と国民党は,アメリカとソヴィエトの援助を受け圧倒的な軍事力を持っていたのに,毛沢東が勝利を収めることができたのは,新民主主義の政策が国民の支持を集めとくに農民・小資産および民族資産階級を味方につけることができたからである。「当面の情勢とわれわれの任務」(1947)は新民主主義経済の全体像を示した点で重要な役割を果たした。新華書店版(1949)のほか,「1947年以来中国共産党重要文件集」(新民主出版社,1949)などに収められている。また,現行選集の文章とも大同小異である。この論文の民族資産階級は,上層の小資産階級(=労働者または店員を雇っている小規模の商工業者)と,中等資産階級(=官僚資本でも買弁資本でもないブルジョワジー)を含めた概念であって,いずれも帝国主義の圧迫を受けている商工業者である。彼らは新民主主義革命に参加するかまたは中立を守るから,政府はこの階級を断乎としていささかもためらわずに保護していく。中国経済は未発達なため,民族資産階級の携わっている資本主義経済は,革命が勝利した後も長期にわたって存続させ,そのうちの国民経済に有益な部分はある程度発展させていくのが新民主主義の経済政策である。民族商工業の発展には農民の購買力の向上が不可欠である。土地改革によって地主や富農の土地はすべて農民に配分される。分散的で小所有ながら農民経済は発展していく。そのなかには新型の富農となる者もあるが,この新しく生まれた富農は農業ブルジョワジーなので保護される。いずれにしても農民の購買力は高まりそれが民族資本の市場として役立つのである。新民主主義の経済要素としては,民族商工業の私的資本主義,少所有の農業経済と国営の商工業がある。国民党の官僚資本階級(とくに四大家族国家独占資本主義)や外国帝国主義・大資産階級(とくに買弁資本)・地主や封建的な旧型富農などが所有する商工業は,すべて没収して国営の商工業としこれが将来社会主義経済の基礎となるわけである。民族商工業の保護は新民主主義の三大経済政策の一つであり,民族資産階級は国民経済のなかで欠くことのできない要素として長期にわたって尊重される。中共がソビエト時代に犯した極左日和見政策,たとえば労働条件を高くしすぎたり,近視眼的な勤労者福祉の採用・高すぎる所得税率・土地改革に際し商工業者の土地を侵害するようなことなどは,決してしない。中国土地法大綱(1947)には,自営の小商工業者と民族資産階級の財産とその営業は侵害されないよう保護されると規定している。新民主主義の国民経済の指導方針は,生産の発展・経済の繁栄・公私兼顧・労資両利の16字の総目標に沿った方針・政策・方法がとられると述べているのである。この論文は国民党治下にあった商工業者からも圧倒的に支持された。共産党こそ小商工業者とブルジョワジーの保護者であるという宣伝が行きわたり,国民党の軍隊までなだれをうって寝返る有様となった。共産党としては,生産の発展と経済の回復の上で民族ブルジョワジーの支援を受けることができた。「人民解放軍総部宣布約法」(1949. 4)は,同26日付の「人民日報」に出ているが,現行選集の文章とほぼ同文である。〈民族資本の工業・商業・農業・牧畜業を保護する。私営の工場・商店・銀行・倉庫・船舶・農場・牧場などはすべて侵害されないよう,一律にこれを保護する。各業種の従業員が従来どおり生産に従事し,各種の商店が従来どおり営業することを望む〉とあって,民族資本家の歓呼を浴びた。しかし彼らは現実にはきびしい制約があることも予測していたに違いない。

(1/2:続く)

民族資本(2/2)を見る◆