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●民俗学史 みんぞくがくし

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 民俗資料(伝承資料とも)をもとに人々の過去の生活を考える,あるいは精神構造を究明しようとする民俗学は,柳田国男(1875〜1962)の指導によって発展してきたが,その学史は前史・形成期・確立期・現代の4期に大別できる。また民俗学は日本だけではなく諸外国で盛んになされているが,ここでは日本民俗学を中心にその発展史を見ることにする。

【民俗学研究前史】日本における民俗学研究が本格化するのは,ほぼ1910年代以降のことであるが,その萌芽は江戸時代に遡ることができる。しかし当時は明確な目的と方法論をもったものではなく,現代の民俗学研究から見れば,あくまで資料としての位置づけに留まるものであることは言うまでもない。当時の風俗習慣を伝えるものとしては,天野信景『塩尻』,喜多川信節『嬉遊笑覧』,喜多川宇貞『近世風俗史』を初めとする随筆類・辞典類,古川古松軒『西遊雑記』『東遊雑記』,菅江真澄『雲の出羽路』を初めとする紀行文,鈴木牧之『北越雪譜』,赤松宗旦『利根川図誌』などの地誌類などがあり,なかでも菅江真澄の紀行文は当時の風俗習慣をよく伝えている。また国学者の論考も注目され,本居宣長は『玉勝間』のなかで〈片田舎には言えざまのみやびたる事の残れるたぐい多し〉〈国々のようを海づら山がくれの里々まで,あまねく尋ね聞き集めて,物々もし置かまほしきわざなり〉と述べており,さらに屋代弘賢は全国の僧者・知人に宛て風俗に関するアンケートを試みている。

 明治期になると西洋の影響を受けて各種学問が発展するが,民俗学にとって重要なことは坪井正五郎を中心とする東京人類学会(のち人類学会と改称)が1884年(明治17)に設立されたことである。当時の人類学は形質(自然)人類学・文化人類学両領域を初めとして,幅広い領域を含むものであったが,今日の民俗学は俚諺学と称され,土俗学の一部で,風俗習慣の起源変遷を明らかにする点も研究課題の一つと位置づけられている。そのほか東京高等師範学校ドイツ語教師であった高木敏雄の日本神話学の提唱,旧民法編纂のため基礎資料として民間の慣行を調べた『民事慣例習』などの動きが注目される。

【民俗学研究の形成期】柳田国男は1907年(明治40)“郷土”を研究の場とする〈郷土会〉を新渡戸稲造・石黒忠篤・小野武史などと組織し,地理・社会・経済・農政学の研究をめざす一方で,民間伝承研究をめざし,『後狩詞記』『遠野物語』『石神問答』の三部作を公刊した。この三部作は,民間に伝わる習俗・伝承を記録しその始源を明らかにする一方,習俗・伝承に潜む人々の心意を究明しようとした点で,民俗学研究の記念碑的著作と言える。本格的民俗学研究は,柳田が高木とともに刊行した雑誌「郷土研究」(1913〜1917)に始まると言える。柳田はその雑誌2巻2号に「郷土編纂者の用義」という論文を著し,従来の歴史研究を批判しながら,平民の思想・生活の変遷を解明するためには,年代・固有名詞に重きをおかず,伝承資料に目を向け,各地に伝わる同系資料の比較研究を重視すべき点を指摘している。雑誌「郷土研究」には,柳田自身,民間信仰・口承文芸に関する数多くの論文を発表する一方,折口信夫(1887〜1953),中山太郎(1876〜1947),南方熊楠(1867〜1941)などの民俗学研究の先達も論考を掲載している。「郷土研究」の廃刊以降,「土俗と伝説」「民族と歴史」「民族」「民俗学」「民俗芸術」「族と伝説」「ドルメン」「嶋」など,民俗学及び民俗学研究を中心の一つにすえた雑誌が1910年代から1920年代にかけて次々と刊行されている。同時に折口『古代研究』,中山『日本巫女史』などを初め民俗学関係の著書が次々と公にされたこと,渋沢敬三(1891〜1963)によって物質文化研究を中心とするアチック・ミューゼアム(のち日本常民文化研究所)が開設されたこと。沖縄研究が注目されるようになったことなどによって民俗学研究が一層深まるとともに,研究者が共有できる民俗資料が次第に蓄積されてきた。

【民俗学研究の確立期】1934年(昭和9)に第1回木曜会が開設され1947年(昭和22)まで続けられた。この会は前年に柳田の民間伝承論の講義を聞く会を発展させ,民俗学徒の研究の発表・討論の場として設けられたものであり,民俗学研究の中心的役割を果たしてきた。また1934年には柳田の指導によって全国山村調査が3年間にわたって実施され,1937年からは全国海村調査さらに全国離島調査が行われ,これが『山村生活の研究』『海村生活の研究』『離島生活の研究』の三部作にまとめられている。1935年には柳田の還暦を記念して日本民俗学講習会が開催され,それを契機として全国の民俗学徒を糾合した“民間伝承の会”が組織されるとともに,各地で民俗学の講習会が開かれその普及にも力が入れられた。同時に柳田は民俗学の理論化をめざし,『国民伝承論』『郷土生活の研究法』『国史と民俗学』を著す一方で,柳田自身が“語彙主義”と称したことの『産育翌俗語彙』をはじめとする語彙集を次々と刊行して資料の整理を計っている。

 1948年(昭和23)には柳田の蔵書の提供をうけ財団法人『民俗学研究所』が設立され,『年中行事図説』『民俗学辞典』『綜合日本民俗語彙』(全5巻)が刊行されるとともに,日本民俗学会日本人類学会・日本社会学などを初めとする諸学会を糾合した共同調査が1950年(昭和25)より行われ今日に至っている。また研究所の設立に伴い,民間伝承の会は“日本民俗学会”と改称し,『季刊日本民俗学』を刊行してきたが,1957年(昭和32)に経済的理由をはじめ種々の事情によって研究所が閉鎖されるとともに,雑誌も休刊されてしまった。翌年雑誌「日本民俗学会報」が隔月ごとに発刊され,1970年には「日本民俗学」と改称して現在に至っている。

 1930〜1940年代は,日本民俗学の確立発展期と見ることができるのであるが,強力な個性と卓越した才能をもつ柳田のもとで発展してきた。および官学としてではなく在野の学として研究されてきたところに日本民俗学の特異性があり,歴史科学の一つと位置づけ常民(抽象的概念であり,文化の恒常性と日常性)の歴史的展開と心意の解明をめざしてきたと言える。けれども西洋文明の移入・近代化によって消滅する習俗の蒐集と個別民俗事象の解明とに力点がおかれ,民俗学の方法論の確立に関しては必ずしも十分ではなく,今日においても地域差を時間差に置き換える重出立証法,民俗の分布のあり方を示す周囲論などが主要な方法論とされている。また民俗資料を採集記述する点に日本民俗学研究の主眼点があるとする有賀喜左門の批判(1953),歴史学研究には民俗資料が利用できないとする古島敏雄の批判(1936)などに的確な反論がなされてきたとは言えない。

【現代日本民俗学研究】民俗学研究所の閉鎖とともに,1958年から1960年にかけて刊行された『日本民俗学大系』(全13巻)は,従来の民俗学研究の成果の上に立ち,民俗学・諸外国の民俗学研究の現状に目が向けられるとともに,共同体・理論的側面に意が尽されている点で,現代民俗学の出発点をなすと見ることができる。しかし,1962年柳田の死によって指導者を失い,民俗学研究は一時停滞期を迎えるが,1970年代以降,方法論の再検討,民俗資料の整備,講座・体系の刊行,専門の民俗学徒の養成,民俗博物館の増加などによって新たな段階を迎えている。

 現代の民俗学研究は,歴史学・社会学・文化人類学・宗教学などの隣接諸科学との交流が一般と進み多様化するとともに,研究の深化によって細分化の方向にある。多様化と細分化の方向は,比較民俗学・地理民俗学の成立を見たほか,民具学会・口承文芸学会などの成立にも認めることができ,さらに都市民俗学・仏教民俗学など新領域の開拓にもつながっている。

〔参考文献〕和歌森太郎編『日本民俗学講座5』1976,朝倉書房

大間知篤三ほか編『日本民俗学大系』1967,平凡社