●民俗学 みんぞくがく
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民俗学とは一体どういう学問であるのか,それを知るためには,いくつかの辞典類を見るのがよかろう。 辞典類の定義は,一般にわれわれが考える以上に,的確に要点をとらえているのが普通であるからである。【辞典に見る定義】民俗学について触れている代表的な辞典を,刊行年順に見てみよう。それはまた,定義の変遷史の意味をもつからである。(なおここでは,紙幅の都合上第二次大戦後からに限定した)。まず1951年(昭和26)に出た『民俗学辞典』(東京堂)は〈民間伝承を通して生活変遷の跡を尋ね,民族文化を明らかにする学問である〉(582頁)と定義づけし,同じく1951年に出た『日本文学大辞典』(新潮社)は〈……週期的に出現する神に対する誓約を履行する事によって暦日が考へられ,祭礼を行ふやうになり,祭時を完全に経過する方法としての儀礼や伝承詞章や禁忌などが,すべての伝承の基となる。同時に,古代社会に於ける急激な変化と,社会人の頑固な保守とが,伝承を不具ならしめる。そこに民間に伝承せられる精神現象の雑多化と豊満な忘却とを斉した。さうした残り具はったものが民俗であり,民間伝承である。これを対象とする学問が民俗学であり,又は民間伝承学と称せられるものである〉(106頁)と述べ,近くは1975年(昭和50)の『日本国語大辞典』(小学館)が〈民間伝承を研究資料として,民俗性や民俗文化を庶民の生活感情を通して研究する学問。民伝学。フォークロア〉(18巻。702頁)と記す。国語学の面からはどうかと思い,1980年(昭和55)に出た『国語学大辞典』(東京堂)を見るに,〈民間伝承の比較研究によって民族の生活文化を研究する学問〉(851頁)とある。このように,民俗学は,民間伝承を研究対象にする学問であり,それは文字として記し残されたものではないものである。あくまでも民間に基礎を置き,その生活感情を通した学問であるわけだが,こうした概念は,よく見るとすっきりしないものだらけであることに気がつく。民間伝承というときの「民間」とはどこまでをさすのか,伝承の中味はどういうものかといった具合にである。
【名称】民俗学はほかの呼称で扱われたことがないものか,その点を見てみよう。
民俗学という語が使われるまで,その研究対象が漠然としていたために,民俗学や文化人類学,あるいは民族学などを総括して“土俗学”と呼んでいた。たとえば,明治時代(1868〜1912)は無論,大正時代(1912〜1926)においても“土俗学”で,たとえば,高木敏雄(1876〜1922)は「日本土俗学研究の本領」で〈日本土俗研究の目的は,日本民族の民族生活の凡ての方面の凡ての現象の根本的研究である〉としてある。先の定義で見た内容と同質であるが,そこには民俗学という語は使われていない。他で使われたものとして,郷土研究というのがある。これは柳田国男(1875〜1962)が高木敏雄と協力して,1913年(大正2)に「郷土研究」を創刊したのに始まる。これはその4年後の,1917年(大正6)に休刊となる。このように,明治期(1868〜1912)や大正期(1912〜1926)に民俗学の胎動はあったが機が熟さず,第二次世界大戦後(1945)までこの語は市民権を得ず定着はしなかった。ただこのことが民俗学がなかったということではない。たとえば,1924年(大正13)に,柳田国男が慶応義塾大学史学科において民俗学を講じているように。
【歴史】民俗学はイギリスに始まる。すなわち,イギリスのウイリアム=J=トムズ(William J. Thoms)が古代研究に対して,フォークロア(Folk-lore)の名で用いたのが始まりで,次いで,1878年(明治11)にイギリス民俗学協会を設立したのが民俗学誕生の歴史である。これに続いてフランス・ドイツ・スペイン・イタリア,さらにアメリカにも学会は誕生した。日本においてもその影響は及び,大正時代に東京帝国大学の諸教授を中心に「日本民俗学会」が発足した。だが,民俗学の内容についていまだ機が熟すに足らず中断した。
1929年(昭和4)に民俗学会が設立され,雑誌「民俗学」が刊行された。その後,柳田国男が精力的に尽力し,1935年(昭和10)以後,諸方で講演会がもたれ,1937年(昭和12)7月には日本で初の“日本民俗学講座婦人座談会”がもたれた。またこの年柳田国男は東北帝大や京都帝大で民俗学を講じた。1947年(昭和22)に民俗学研究所が柳田国男により設立された。他方,折口信夫(1887〜1953)も先にふれた『土俗と伝説』を刊行したのに始まり,著作に講演にそして大学の講座に私学としてはいちはやく民俗学を設けたりして活躍をした。これら二人の先達の両輪の輪により,現在の民俗学の基礎が得られたと言える。
【対象】民俗学の対象は何か,と見るに,基本的には[定義]で見た民間の伝承を研究対象にするわけだが,この伝承の対象がここでの問題となる。試みに,民俗学の本をとり出してそこで扱われている対象が何であるのかという点から見てみよう。たとえば,宮田登『日本の民俗学』(1978,講談社)を見ると,〈第1章・日本民俗学の性格,第2章・日本民俗学と「常民」,第3章・日本民俗学と郷土研究,第4章・都市民俗学への道,第5章・比較民俗学への道,第6章・民俗研究の新しい課題〉の全6章より構成されているが,この内の第3,第4章が最もよく日本民俗学の対象を物語っていると言える。すなわちここでは,常民と郷土研究がその対象であったと見るわけである。それは他ならぬ柳田民俗学についての性格のことである。ここでの常民が,1935年(昭和10)に柳田国男『郷土生活の研究法』(刀江書院)で触れている“常民”の概念規定で,村の実力者である〈村のオモダチ(重立),オオヤ(大家),オヤカタ(親方)〉や〈諸職とか諸道〉の者,たとえば〈道心坊や鍛冶屋,桶屋など農民より下級に位置する者〉を除いた〈ごく普通の百姓〉としている点にその限界を見ている。こうした常民規定に見る対象性は,やがて第二次大戦後に変質していくことになる。たとえば1956年(昭和31)に出た橋浦泰雄『民俗学学問』(新評論社)では〈民間伝承は,現在の全民衆の日常生活上の生活伝承を対象とするから,階級的にも地域的にも片寄るということはない〉とする。この意見は,現在の日本の民俗学の性格を代弁していると言えよう。というのは,たとえば外国で見るなら,アメリカは民間文芸の説話や民謡,あるいは民俗芸術が研究の中心であり,イギリスは民族学と共存関係の色合いが強く,言い慣わし・慣習・歌謡・社会制度・信仰・説話などを扱い,ドイツやフランスでは方言や工芸民具をもその対象に扱っているという点を対比して見るならば,肯首されよう。
【方法】民俗学研究の方法は,まず無文のもの(文字に記されていないもの)を扱うために,野外作業が基本になることである。すなわち,ごく一般的な方法として民俗採訪がある。民俗採訪する場合,何を採集するかが問われる第一条件だが,採集さえすめば終了するというものでは無論ない。その採集した地域社会を総合的かつ有機的に調査することが求められる。これら二つが効果的に結ばれてこそその採集したものが生きてくることになる。次にその採集した“モノ”であるが,これは大きく二つに分けられる。その一つは民具と言われる道具類であり,他の一つは民話という伝承者により語られるものである。ことに後者では話し手が重要な要素になり,たとえば,ある一つの部落において同一の話でも,語る人により微妙に異なっていることが指摘されている。また,語り手の気持ちを左右するのが聞き手側にあることも銘記すべきことである。次に研究法に触れたものを見るに,たとえば井之口章次『民俗学の方法』(1970,岩崎美術社)の〈6・研究法〉では次の点を挙げている。すなわち〈伝播と偶発,外来文化,方言周圏論,周圏論の課題,伝播と受容,伝播の速度,比較研究法〉の七点がそれである。一方,フィンランドにおける方法的研究の創始者,ユリウス=クローンの名著『民俗学方法論』(1940,岩波書店)を見ると〈1 ユリウス=クローン,2 研究範囲の区画,3 課題の選択と限定,4 資料の整備,5 資料の選別,6 資料の配列,7 地理的区分の根拠,8 分析の手続,9 忘却の影響,10 敷衍しようとする欲望,11 変形の諸法則,12 諸規準,13 叙事の諸法則,14 基本形式,15 一致,16 郷土と伝播,17 伝播の方法,18 伝播の種類,19 発生の時代,20 所有地,21 結語〉とあり,この年代で早く伝播を中心とした問題の重要性が指摘されていることが注目される。このクローンの著書に見えたものと,先の井之口章次『民俗学の方法』の二点を取り合わせるならば,民俗学の研究方法がいかなるものであるかということがわかると言えよう。
【資料】民俗学で扱う資料とは具体的にどのようなものをさすのか,その点から見てゆこう。すると思い出すのに,1950年(昭和25)に制定された“文化財保護法”のあることである。そこに〈民俗資料〉として次のように記してある。すなわち〈衣食住・生業・信仰・年中行事などに関する風俗慣習およびこれに用いられる衣服・器具・家屋その他の物件で,わが国民の生活の推移の理解のために欠くことのできないもの〉とある。すなわちここには,有形のものと無形のものとの二種類を挙げ,それが〈わが国民の生活の推移の理解のために欠くことのできない〉要素をもち合わせていることが必要条件になっているわけである。だが,これは後世に伝える国としての責任の基準であって,そこに見落されている民間の同一内容が民俗学で最も重要な点である。たとえば,ワラジ(草鞋)やミノ(蓑)にも一つの歴史があり様式や地域性があるが,こういうものは,文化財の対象にはならないが民俗学の資料としては重要なものの一つである。このように,民俗学の資料とは文化財で規定する内容のものであるが,その内部においては先に触れたように,文化財での基準をはずれたものが主体であるということである。そこにまさに民間の二字が生きてくることになる。この資料の件で見落してならないものに,消滅していく資料ことに無形文化財に対して,記録しそれを保護または伝承するように努めることである。
【内容】民俗学の扱う内容は具体的にどのようなものであるのか,ということだが,これは,[資料]で触れたものを具体的にしたものであると言えよう。最も一般的なものとして柳田国男の説が行われているので,それを先に見た『民俗学辞典』により摘記すると次のようになる。
第1部 有形文化(1)住居,(2)衣服,(3)食制,(4)漁業,(5)林業・狩,(6)農業,(7)交通・交易,(8)贈与・社会,(9)労働,(10)村組織,(11)家族,(12)婚姻,(13)誕生,(14)葬制,(15)年中行事,(16)神祭,(17)舞踊競技,(18)童戯童詞
第2部 言語芸術,(1)命名,(2)言葉,(3)諺・謎,(4)民謡,(5)語り物,(6)昔話,(7)伝説
第3部 心意現象(1)妖怪・幽霊,(2)兆・占・禁・呪,(3)民間療法上がそれである。ここには,現在よく使われている「民話」ということばがない。だが,それは第2部の(5)と(6)の両方に含まれていると考えてよく,ことに(5)を民話と置き換えるならば,民話・昔話・伝説となり,さらに(5)に説話を加えるならば,より現在の民俗学の内容と合一するのとである。
【民俗学と隣接科学】[1]民俗学と国文学 ほかの民俗学と宗教学や民俗学と神話学などが関係の深いように,民俗学と国文学も深い関係にある。周知のように,民俗文学ということばがあることによってもその深さは知ることができる。1960年に弘文堂から刊行された『民俗文学講座』(全6巻)の各巻書名を見ると双方のかかわりがよくわかるので,次に記してみる。第1巻 日本文学と民俗,第2巻 民俗から文学へ,第3巻 芸能と文学,第4巻 古代芸能と民俗,第5巻 中世文芸と民俗,第6巻 近世文芸と民俗がそれである。ここには芸能と文学が中心になっている。また,1961年(昭和36)4月号の『国文学・解釈と鑑賞』(至文堂)の特集は〈国文学における民俗学的方法〉として,〈民俗学的に見た日本文学のジャンル〉を設けてある。そこには〈古代歌謡,物語文学,軍記物,能・狂言,説経・浄瑠璃,連歌・俳諧,中世小説,民謡文学,歌舞伎〉などが取り上げられている。その後に〈民俗学的にみたヒーローとヒロイン〉のもとに〈倭建命 スサノヲのミコト 大国主 かぐやひめ 浦島太郎 小野小町 弁慶と義経 一寸法師 豊臣秀吉 桃太郎〉などがある。国文学と民俗学のかかわり方をこれによって具体的に見ることができる。では実際においてどのように両者の関係が存在するものか,一つの例を取り上げてみることにする。たとえばここに,『万葉集』の巻16―3824番歌の
〈さし鍋に湯沸かせ子ども檪津(いちひつ)の桧橋より来む狐に浴(あ)むさむ〉
という歌があったとする。この歌の意味は,
〈寒い明方に檪津の桧橋を渡って,コンコンと鳴いてやって来る狐に湯を沸かせ,浴せて暖をとらせてやろう〉
というものである。ところで,何故に狐に湯を浴せて暖をとってやらねばならないのか,暖をとってやろうという発想が何によるものか,それが問題であった。ところが民俗学の方から見ると,これは“野施行(のせぎょう)”であることがわかる。野施行というのは,大阪・兵庫・奈良地方などで,寒中の飼の少ない時期に小豆飯・豆腐かす・油揚げなどを田や畑に置いて狐などの小獣に与えることで,慈悲を施して福を報いられるという信仰のことである。こうした結果,この歌の背景にあるものが戯歌や無意味なものでなく,当時の民間信仰に基づいていることが理解されるのだった。このように,国文学の側から見てこれをどう理解したらよいのか判断に苦慮した問題が,民俗学の助けを借りて随分解明されることになり,その結果,表面的な理解から精神の内奥にまで照射がなされることになった。
[2]民俗学と国語学 民俗学が国語学と深いかかわりをもつのは口承文芸と方言である。これらは先に見た(内容)のもので言うなら,第2部の言語芸術に当たる。ことにことばの面では,アクセントや語法を除いた語彙の研究が中心で,たとえば1935年(昭和10)には,柳田国男・橋浦泰雄『産育習俗語彙』(恩賜財団愛育会)が刊行された。これは全部で26の項目から成るが,その一部を摘記するなら,
〈1 総称2 生児名目 3 妊娠祝 4 産屋入・産の忌 5 産婆 6 分娩の前後…〉と続いてゆく。そして,「2 生児名目」を見ると,
〈イヂワルゴ 矢張り近江高島郡では,子が無い時に養子をすると,妙に子が出来ると云ひ,かうして生れた子の事をイヂワルゴと云って居る〉
というように見える。こうした解説や同一項目の語彙集は,方言が近年国語学の一分野として方言学としてなる以前の国語学と最も深くかかわる点である。
[3]民俗学と宗教学 民俗学と宗教学の関係も,国文学や国語学との関係と同様に深いかかわりをもっている。たとえば,神道や仏教学と民俗学との関係で見るならば,神道学での研究の主要な点と言えば,神社を中心とした縁起であるとかその祭神についてのことである。他方,仏教学での研究と言えば,奈良時代(710〜794)の南都六宗が宗派というより学派ともいうべき性格のもとで教典の注釈・仏理などを行って以来,代々教理教典の研究が中心でありその他では実践仏教がもたれるくらいであった。したがって,神道における神社にせよ仏教における寺院にせよその中心は学理の探究であり,一般民衆が神社や寺院をいかに信仰しいかに生活のなかに根を下ろしているか,などということに対する研究ではなかったのである。そうした宗教学において見落され扱われなかった点について見直し,補ったのが民俗学である。言うならば,民俗学の参加があって初めて宗教学の全体的研究がもたれるに至ったと見られるのである。
[4]民俗学と神話学 民俗学は過去から現在に時間的に継続しているのが対象であるが,神話学というと過去にさかのぼり,現在とは関係がないものと思われ,したがって両者の関係はないと見られやすいが事実はその逆である。たとえば,『古事記』(712年成立)を見るに,上巻の神代の巻で,イザナギノ神とイザナミノ神とが御殿の柱を中心に聖婚されるときに,イザナギノ神が左からまわりイザナミノ神が右からまわって結婚される場面がある。これは遥か大古の事として記されているが,第二次世界大戦後のしばらく後まで,結婚式の仕草として東北地方の日本海側にあったことが知られている。あるいは,スサノオノ命が高天原から追放されて出雲国(現在の島根県)の肥の河上に下り来たときに,その河上から箸(はし)が流れて来たという場面がある。この箸がただ河上に人がいることを知らせるだけのものではないことは,民俗学の方からの照射によって解明された点である。たとえば,中山太郎『生活と民俗』1942年(昭和17),(三笠書房)の「箸の話」などはその代表的な一つである。
【伝承】民俗学には,よく伝承ということばが使われる。たとえば民間伝承という具合にである。そのほかでも代表的ないくつかの伝承について,どういう内容なのか見ておくことが必要である。次にそれを記してみるに,[1]階級的伝承,[2]教育的伝承,[3]芸能伝承,[4]言語伝承,[5]行動伝承,[6]周期伝承,[7]造形伝承,などがあがる。これらの内,[3][4][7]は内容に関した伝承であり,[1][5][6]は様式に関した伝承であり,[2]は方法に関した伝承である。これらの内,注意を要するものについて触れるならば,[1]の階級的伝承は価値に優劣を付けたり差別をつけたりすることではなく,職業における経験や年齢のこと,あるいは血族の社会的地位の生得権などについての伝承ということであり,[6]の周期伝承は時間の経過に伴い周期的に生ずる伝承のことである。
【意義】民俗学の“学”としての意義はどこにあるのか,その点に触れてみる。民俗学の最も大きい業績は,記録されていない一般民衆の生(なま)の生活を体系化しその意味を解明したことである。先に〔民俗学と隣接科学〕の項で触れたように,民俗学によって隣接の学問は随分と救われていることである。また民俗学によって一つの学問のスキ間が埋められた点を,“[3]民俗学と宗教学”によって見たが,こうしたことは民俗学の樹立により明らかにされた点である。また,今までの歴史はつねに支配者である為政者,したがって貴族や武士など権力のある者のものであったが,民俗学により顧られなかった庶民が歴史の上に体系化されるに及んだことである。
【問題点】民俗学は上述のように,学問として大きな足跡を残して発展し続けているので問題がないように見られるが,その内部においては多くの問題がある。その一,二について触れてみる。その一つは,国により地域により,必ずしも民俗学の内容が一致していないために異同があることである。同一国の単一民族と同一国の複数民族のところとでも異なりがあり,比較民俗学の構想の面から見るとマイナスの点が多いことである。二つ目に,採集・採録が主体で,その理論的分析の遅れていることである。たとえば昔話でも民話でも実に多くの採録がなされているが,その内の一つの話を取り出して,その話がわが国の民話のなかでどういう分布でどういう位置付けにあるのかということになると,確たるものがない。ごく大まかなものならば,二,三回にとまるけれど。こうした採集と理論の並列が求められる時期にあるのではないかという点を指摘しておく。
〔参考文献〕柳田国男『日本の祭り』1956,角川書店
『定本柳田國男集』筑摩書房
和歌森太郎『新版・日本民俗学』1970,清水弘文堂書房
中山太郎『日本民俗学』(全4巻)1976,大和書房