●民族音楽 みんぞくおんがく
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諸民族の音楽の意。この語が一般に使われる背景には二つの事情がある。第1には,日本語では「民俗音楽」と同音語であるということである。「民俗音楽」は,ヨーロッパにおいて芸術音楽に対置される音楽である。その特徴は,ある階層的社会の基層の人々によって担われ,特定の作曲者をもたず民衆の間で楽譜などを使わず口伝えで伝承されていく音楽というものである。日本では,民俗学の輸入とともに民俗音楽の概念が生まれ,郷土芸能における音楽的側面や民謡・わらべうたなどを指すようになった。歌舞伎・文楽・能などの舞台芸術の音楽と対置されるが,歴史的にも互いに影響を及ぼし合っている。民俗音楽と民族音楽に共通点を見出すとすれば,民衆によって担われているという点と,口頭伝承による伝統であるということの二点が挙げられよう。しかし,民族音楽という語は,インドやアラブ諸国・イランなどの高度に理論化された古典音楽をも指すものとして使われている。
第2は,「民族音楽学」という学問名が,研究の対象についての命名であるような誤解が一般に流布していることである。「民族音楽学」は,その成立期においてはなるほど西欧以外の諸民族の音楽と西欧の民俗音楽を対象とすると規定されてはいた。しかし,「文化人類学」や「民族学」などの方法論的枠組みを導入することによって,対象を限定することよりもアプローチの仕方を問題にする学問として,現在の「民族音楽学」は理解されている。したがって,「民族音楽学」の視点から言えば,西欧の芸術音楽の伝統も一つの民族音楽として理解されなくてはならないのである。音楽,音楽することをどのように見るかということについて,民族音楽学的反省をもちその新たな視点に立ったとき,対象となるものを初めて民族音楽と呼び得るのである。したがって,「民族音楽学」の見方を説明することが,「民族音楽」を浮かび上がらせることになると言えよう。
あらゆる音楽は,その音形式の背後にさまざまな文化事象・自然環境,そして,人間の認識体係や世界観などをつなぎとめている。民族音楽学は,音形式そのものだけでなくこれらの周縁的な脈絡の両方を問題にしなくてはならない。
【音楽の概念】音楽が世界中どこにでもあると考えるのは,ある意味で間違いである。音楽という言い方は,漢語に由来する日本語特有の表現である。漢代中期の『楽記』では,声・音・楽を区別して,物に感じて動くものが「声」,「声」が変化して形をとったものが「音」,「音」を重ねて楽しみ舞具に及ぶものが「楽」と規定している。メラネシアのソロモン諸島のアレアレ族で,music のような総称に当たる語アウ(a’u)は竹を意味する語である。これは楽器の素材としての竹(a’u)が換喩的表現として定着した例と言えよう。アラン=メリアムの指摘を待つまでもなく,音楽と非音楽の区別がどこにあるかそして音楽の総体がどのように分類されるかは民族によって異なる。しばしば用いられる声楽と器楽という分類は決して普遍的なものではない。アフリカの太鼓ことばでは,太鼓打奏によるメッセージが人間の声による朗唱よりも権威をもった声として位置づけられている。日本の楽器演奏の学習に用いられる口唱歌(くちしょうが)や口三味線は,旋律を声と仮名で規定する働きをもち,演奏において楽器音そのものより声による言語音の存在が強い影響力をもっている。これらの例から,物理的な音響としては声と楽器音と区別することができるが,音ないし音楽としては両者を明確に区別することはできないことがわかる。音楽の分類は民族のもつ概念や聴取のパターンと深くかかわっている。
【記譜と口頭伝承】音楽とはあくまでも音そのものの形式とその周辺事象を言うのであって,書かれた楽譜や録音そのものだけでは音楽にはならない。文字をもつ社会には書かれたものに対する過度の信頼があり,極端な場合,演奏は楽譜のコピーにすぎず本当の音楽は書かれたもののなかにあるとしてイデア化される。だが楽譜は音楽のすべての音をそのまま記録しているものではない。ある文化の人間が,音のどの要素を有意義であるとしているか,つまり音の認知のパターンによる取捨選択が働くことによって楽譜の書式も決まってくる。また書式が決まれば,それによって演奏する場合の音も規定される。しかし,書かれた部分だけが音楽にとって必要十分な要素であるのではない。というのも,書かれていない部分に対しては,聴覚的伝統や口承的伝統の働きによってかなりの情報が補われて音楽活動がなされているからである。
記譜をもたない文化もある。その場合,音楽伝統を担う働きとしてとくに言語表現と身体運動がある。言語表現は,それを通して音組織と神話・社会組織を隠喩的に連合させる働きをもつ。身体運動は,ダンスや楽器演奏の過程として,記憶のメカニズムとして機能したり社会的な過程の象徴的表現となったりする。
【音楽と意味】民族音楽学の研究史は,社会・文化における音楽の機能・用途を問うことから始まったと言えよう。そのころから一貫して流れているテーマは,音楽の意味とは何かを問うことである。
単純に考えれば,音楽には二通りの意味が見出せる。一方は,機能和声法に見られるように,ある音や音型が次に続く音や音型を指示している場合である。他方は,ある音や音型が音楽外の事柄を表す場合である。たとえば,西欧でカッコウ鳥の鳴き声を表す音型がそうである。いずれの意味にしても,その文化の音楽伝統に慣れ親しんでない者には正確に感じとることはできない。
音楽をより広い脈絡のなかでとらえるときその意味はさらに拡大する。パプア=ニューギニアのカルリ族を調査したスティーブン=フェルドは,カルリ族で歌唱がどのように情動を喚起し社会的な意味を持つかを分析している。神話の分析を通して,フェルドは,カルリにおいて人が鳥になるという主題がカルリの人々の情動を高める主要動機であることを見出し,鳥の声をもとにしてあらゆる歌唱ジャンルが生成される過程を解釈し,その過程で情動が社会的に意義あるものとして生起することを説明した。
音楽が深い情動と結びついているとき,その音楽は意味をもっていると言えよう。そのときの音楽の意味は,社会・文化・自然などの網の目のなかで人々が組織的にとらえているものなのであり,必ずしもことばにして説明できるような意味ではない。
【諸民族の音楽】音楽は自然環境や風土の違いによって,様式的にも大きな違いがある。楽を通文化的に比較することも必要なのである。
アラブ音楽のタクシーム(即興的な楽器演奏)やイラン古典声楽アーヴァーズなどでは,拍節のない自由リズムで音楽の多くが成り立っており,拍節のある固定リズムよりもむしろ複雑で微妙なリズム感覚を必要とする。
また,アラブ音楽に特徴的なのは,マカームという旋法(音階や音型を形成する一定の音組織)に基づいて演奏が行われることである。イラン音楽にはダストガという旋法が存在し,色や気分によって旋法を選び分け歌い分けるシステムとして機能している。インド音楽のラーガやガムランのパテットも同様で,演奏の時刻・季節などにしたがって旋法を選び取る。
テクスチュア(音の縦横の組み合わせ)について言えば,まず単音性と多音性に分けられる。単音性は,朗唱などに普遍的に見出される。多音性は,西欧に代表される和声や対位法,東南アジアや東アジアにおけるヘテロフォニー(同一旋律を時間的にずらして多声化する),ヨーロッパのバグパイプの音楽や東南アジア・南アジアに見られるドローン(低音持続)などが見られよう。音高的な側面は,旋法や音階と関係している。1オクターブを12音に分割するヨーロッパの平均律の伝統に対して,アジア・アフリカの諸民族は微分音と称される音程をも使用している。