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●民族 みんぞく

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【定義とエスニック集団】民族ということばは刺激的であり,時に人を奮い立たせ,時に人を絶望の淵に追いやる。広く一般的に使われる多くのことばと同じように,このことばは極めて多義的である。それは第1に,日常の用語としてはもちろん専門家の間でも定義が一致せず,第2に,論議がとかく理論よりは政治やイデオロギー上の選好に傾きがちであり,ひいては第3に,論議がともすれば感情的になるからである。しかしどの論議にも前提となるのがエスニシティである。これは,あらゆる集団アイデンティティを成り立たせる原初的なものであり,人々を独自の集団に組織化し,集団構成員の連帯感と忠誠心をその集団に向けて組織化する。こうして成立するのがエスニック集団である。これは,共通な言語・共通な文化・共通の領域・共通の心理的特性と帰属意識をもつ,最も基礎的な人間集団であって,特定の機能をもつ人間集団ではない。エスニック集団は,単なる人間の集合体ではなく,自他の集団の相違を意識する集団であり,エスニシティを保つために団結と伝統の保持に努め,いきおい排他的・情緒的・内婚的になりやすい。パーソンズは,超世代的伝統を維持・発展させる責任が構成員に依託されているという意味で,エスニック集団を受託組織と呼んでいる。理念的には,エスニック集団は,一,二の文化要素(一つの統一体としての文化を構成する個々の諸要素,たとえば建築・宗教など)を共有するだけではなく,上記のすべてを共有する集団である。しかしだからと言って,同一のエスニック集団だから同じ地域に住むべきだとして,集団居住を強制するのは不条理である。その一例はアパルトヘイト(公式には「分離発展」)政策をとる南アフリカ共和国の「ホームランドまたはバンツースタン」政策である。実際には,上述の定義を完全に満たすものは少ない。居住地が離れていて方言や儀礼や日常生活が違っていても,基本的な文化の均質性が保たれていれば同一のエスニック集団であることに変わりはない。ユダヤ人はその一例である。またアイヌ系日本人は固有の文化をほとんど失い混血が進み,わずかに強い帰属意識によって自らの民族としての存在を主張している。さらに複数のエスニック集団から成る第三世界において,各部族が固有の宗教や伝統を固守して日常的に公用語ではなく部族語を使い,部族間の激しい対立と未熟な政治的統一のなかで民族としての存在を強く打ち出している例は多い。したがって,集団アイデンティティを自覚的にもち,上記定義の客観的指標を部分的にもっているならば,エスニック集団だと自ら主張する人々に誰も反対することはできない。アイデンティティの確認にとって,神話・伝承・儀礼などがしばしば時には政治的に大きな役割を果たす。こうした集団アイデンティティの確認は,自分たち構成員を「人間」と呼び,他集団の人々を何か別のものではあるが「本当の人間ではない」とする集団呼称にも見られる。エスキモーはエスキモー語のイヌイット,アイヌはアイヌ語のアイヌ,ラップ人はラップ語のサーメという「人間」を意味することばを自称の集団名としている。

 エスニック集団の日本語訳は確立されていないが,これを具体的に示す一例は部族ないし種族であり,前述のように民族もこのなかに入る。しかし,地球上にはかつてエスニック集団しか存在していなかったのであるが,民族を創出したのは近代的「国民国家」である。これを「民族国家」とも呼ぶのは,「民族」と「国家」が不可分離に結びついているからである。すなわち,政治的・法律的制度,及びイデオロギー機関としての国民国家に先行して,民族が存在したのではない。この順序を逆に考える者もあるが,今日の学界でこれに与する者はほとんどいない。そこで上記の見方に立てば,トロブリアンド諸島民・ピグミージプシー・フランス人・イギリス人はどれもエスニック集団であり,このうちフランス人とイギリス人は民族と同時に国民を示し,フランスとイギリスは国民国家または民族国家を表す。シンガポール人とアメリカ人は複数のエスニック集団から成る国民であることは明らかであるが,民族としての統一性をもっているかどうかについては,他国民から見れば議論の分かれるところであろう。こうしたことから,国民国家の形成によって生じた民族を近代民族,これに先行するエスニック集団を前近代民族と呼ぶ場合が多い。

【日本語と外国語の交錯】日本語の民族に対応する外国語は,ネイション nation(英),ナシオーン nation(仏),ナチオーン Nation(独),ナーツィア Hauux(露)であるが,これらはどれも民族のほかに国民及び国家をも意味している。さらにピープル people(英),ピュープル peuple(仏),フォルク Volk(独),ナロード Hapo д bl(露)も前記4語と同様であるが,ピープル以下の4語は割り切って言えば,国民国家の形成とは無関係に使われる。したがって,未開民族・農耕民族・文明民族などの「民族」を表すのは,ピープル・ピュープル・フェルカー Volker(Volkの複数形),ナロードウイ Hapo д bl(Hapo д の複数形)である。またナショナル national という概念は,経済学の分野では国民経済(national economy)・国民所得(national income)のように,国民と国民経済の統一性を保持するのに力点を置いて使われ,他方,政治学の分野では民族的・国民的・国家的というように,多義的に,かつあいまいに使われている。さらにナショナリズム(nationalism)には民族主義・国民主義・国家主義の訳語が当てられるが,民族主義が最も多く使われているようである。こうした用語の錯綜は民族の歴史的形成が複雑なことと無関係ではない。

 マルクス主義では,西ヨーロッパに民族が比較的容易に成立したのは,人種・言語・文化が相対的に均質であって,先行する段階で地ならしが行われていたからだとして,この先行形態を「民族体」ナロードノスチ Hapo д HOCTb(露)という。これは nationality(英),nationalite(仏),Volkerschaft(独)と訳され,可能的民族とも言う。ヨーロッパでは民族体は,部族連合・種族同盟から発展して,古代のエジプトやギリシアの奴隷制時代に形成され始め,封建制の時代に完了した。アジアやアフリカにおける第二次世界大戦後の独立国家では,民族体を経由しないで民族の形成された場合が多いという。こうした民族体という概念をめぐる論議はまだ熟しておらず,したがってこれを使用する者は少ない。

【部族】エスニック集団のなかで民族に先行するのが部族 tribe(英),tribu(仏),Stamm(独)である。これはかつて誤解されていたように,政治的統一性をその本質的な属性としてもつものではない。外部との関係において,紛争や戦闘を遂行するためにまたは大きな宗教儀礼を行うために,部族はしばしば政治的または宗教的な統一体として行動するが,決して恒常的な中央集権的組織をもっているわけではない。必要に応じて部族間の同盟ないし連盟が結成される。部族の人口規模はまちまちであり,大は数百万人(アフリカのイボ族600万人など)から小は百人(18世紀末のオーストラリア先住民の一部族員数は100〜2,000人)という広い範囲にわたっている。経済的には遅れていて,経済活動は競争や利害よりは互酬性(reciprocity)の原理に基づいている。経済活動・政治行動・法的活動・軍事行動・宗教行動などが各分野別に切り離されないで行われており,そうした社会関係を支えるのは親族(血縁と非血縁)の原理である。しかし一部族の全成員の出自が一人の共通の祖先であるような例は必ずしもふつうではない。また部族は,家→出自集団(氏族 clan など)→地縁集団(村落など)→亜部族→部族というふうに同心円が拡大されるような形で形成されているから,部族は親族集団そのものではなく地縁的な原理も同時に働いている。部族はやがて拡大し他部族と接触していくなかで,とくに国民国家及び民族が形成される過程で,その凝集性を希薄にしていく。なお部族も種族も研究者が研究の必要上つくった概念であり,ほぼ同じ意味に使われるが,部族は実体として把握できるのに対して種族は実体として把握できる概念としては使われない。

【民族・人種・国民】これら三つの概念はしばしば混同し重なり合って使われる。国民は政治的概念であり,国家(国民国家)に所属する。すなわち特定の国籍をもつ集団または個人をさす。古代のエジプト・メソポタミア・中国・ペルー・メキシコのような最古の国家(ふつう帝国と言う)の構成員も国民と呼ばれるが,ふつうは国民国家と関連して使われる。人種は一義的には生物学的概念であるから,フランス人種やドイツ人種という概念は成り立たない。しかしこうした誤用は19世紀から20世紀初頭には学界にも見られた。今日でも民族紛争またはエスニック紛争がしばしば人種紛争と呼ばれている。たとえばスリランカにおけるシンハリー人とタミル人,マレーシアにおけるマレー系住民と中国系住民の紛争が挙げられる。これは歴史的に形成された共同体である民族ないしエスニック集団の事実上の存在が,ある程度時にはかなりの程度に,同一の人種を基盤として成り立っているからである。畢竟,社会学的かつ歴史的概念である民族は,事実上は生物学的概念である人種,及び政治学的概念である国民と多かれ少なかれ関わり合っているのである。しかし,これら三つの概念を混同しないで区別することは,理論的分析に必要であるばかりか,事実認識さらに政治的選択やイデオロギー上の方向づけにとっても大きな意味をもっている。三つの概念が恣意的・政治的に混同され利用されて,人種主義が創出ないし強化された例は,ナチス=ドイツのユダヤ人虐殺や,近世以降の植民地建設に伴う先住民の虐殺や虐待に数多く見出すことができる。

【エスニック集団の画定】多くの場合実際には,民族・人種及び国民の区別は容易ではない。いまエスニック集団に焦点を合わせて文化の中味に立ち入って検討すると,同一文化の境界をどこで区切るかという問題は実際には難問である。とくに歴史的に複雑な経過を辿った場合にはその困難さは増す。このために,言語,すなわち文化の基底に在り,区分が相対的にはかなりの程度まで同定されている言語によって,エスニック集団を見分ける場合が多い。現地調査においてもこの方法は極めて有効である。しかしこれとても必ずしも容易ではなく,とくに民族レベルではその難しさが大きくなる。もともと言語の存在と機能との基盤は個人と個人(最小の場合は二人)との関係にあり,たとえ複雑に交錯するにせよ言語は線として存在する。ところが,エスニック集団の存在と基盤は個人と個人との関係にはなく集団全体のなかにある。したがって民族の集団境界は常に面として広がっていて,複雑に入り組んでおり流動的である。したがって民族の集団境界を明確に画定し得ない場合が非常に多い。この結果,言語は民族の構成要因の一つにすぎないにせよ重要な構成要因であるところから,多少とも民族に近接するものとして言語の境界線が民族の境界を画定するものとしてふつう使われている。もちろん,このことは公用語が制度的に決められている場合にも当てはまる。たとえばベルギーの状況はこの間の事態をよく示している。ベルギーでは,北部ではゲルマン民族系住民がオランダ語の方言フラマン語を,南部ではケルト民族系住民がフランス語に近いワロン語を使い,ブリュッセルでは上記二つのことばが入り乱れており,ブリュッセル付近を東西に走る言語境界線が制度的につくられている。大まかには二種類の境界線が一致している。こうした言語をめぐる紛争は実際には民族をめぐる紛争であり,19世紀以来今なお紛争は続いている。また言語は,たとえば英語・スペイン語・フランス語のように複数の国家では日常用語として使われている場合,常識的には,言語にもとづいた概念でイギリス文化(またはアングロサクソン文化)・アメリカ文化・スペイン文化(またはラテン文化)という概念で,民族ないし民族文化をある程度まではっきり示すと考えられている。事実,こうした大まかな把握も一定限度の有効性をもっているようである。

【民族形成のモデル】18〜19世紀に西ヨーロッパで形成された国民国家とともに,民族すなわち近代的民族が生まれたと見るのが通説である。そこに至るまでの西ヨーロッパの前史は複雑であるが,フランス革命の与えた影響は大きい。フランス革命の人民主権という観念は構成員の均質化を前提とし,その均質化には身分制の打破と複数のエスニック集団の均質化が必要とされる。こうした思想史上の潮流はフランスからイタリアとドイツにも及んだ。その底流には,社会の封建的分散性を克服し政治的中央集権を確立し,単一の経済生活(国民的市場)を確保しようという要請が西ヨーロッパにあったことは言うまでもない。こうした状況から,政治上の国内統一を達成して,国民国家ひいては民族としての統一が生まれたのがフランスであり,これに続いてイタリア(1861),やや遅れてドイツ(1871)が同じ道を辿った。このうちドイツについてやや立ち入るならば,4〜5世紀に,西ローマ帝国の没落(476)後に続出したゲルマン諸族(東ゴート・西ゴート・ブルグンド・ヴァンダル・フランク・ランゴバルト・アラマンなど)の部族国家は,やがてフランク族を主体とするフランク王国を軸として,複数の家産的封建国家に移行していった。これは,特定の者に一定地域の支配権を一括して任せるという人的結合に基づく国家である。この段階を経て,12〜13世紀に生まれたのが身分制国家または領封制(テリトリウム)と呼ばれるものである。これは,先行した人的結合から,一定地域の裁判権と軍事権を掌握することによって領域支配を確立する領邦制に移行したことを意味する。これによって,先行した人的結合が必ずしも達成できなかった支配権が強固なものになったのである。以後長い間,35の君主国と四つの自由市が分立し,これらがドイツ連邦と言われる緩やかな連合体をつくっていた。こうした複雑な経緯のなかには,制度化される政治の次元とは別な次元でエスニシティが交錯しつつ作用していた。これが統一されてドイツ帝国という国民国家になったのが1871年である。国民国家という一つの国家の枠内に異質のエスニック諸集団を包摂して統一性を保持するためには,構成員の均質性が少なくとも理念的には要請される。これが国民という名のもとに行われて,これを新しい「民族」としたのである。この均質化が西ヨーロッパでは,上述の経過のなかで各時代ごとに対立と妥協を繰り返しつつ少しずつ局地的には行われていたのである。そして最後に到達した相対的に最高の国家形態が国民国家であった。この点で,民族形成のモデルとしてふつう西ヨーロッパが挙げられるのである。

 ところで,こうした国民国家は,中央の国家機構を統制する社会階級(ブルジョワ)が複数のエスニック集団をも包み込んで,一定の住民の経済統一性を確保することによって成立した。ブルジョワの指導の下に,封建制と闘うことによって形成された民族という意味で,新しく統一体としてつくられた「民族」をマルクス主義ではブルジョワ民族と呼ぶ。他方,プロレタリアートの勝利によって現れた新しい型の民族(構成員の平等・諸民族間の平等と連帯を特性とする)は社会主義民族と言われる。しかしこれら二つのことばは最近ではマルクス主義者の間でもほとんど使われない。

【日本民族】民族形成はふつう西ヨーロッパのそれをモデルとして論じられるが,それがアジアやアフリカにそのまま当てはまらないのは不思議ではない。日本列島の先住民が何であったかについては定説はないようであるが,大陸や南方の島嶼との交流を通して身体形質及び文化の交流があったことは明らかである。そこには,複数のエスニック集団(種族・部族を率いる諸豪族や大小の氏族)が存在していた。やがてこれらのものが,7〜8世紀の国家的統一とそれに伴う交通圏・経済圏の拡大によって,比較的容易に統合され同化されていった。こうしてエスニック諸集団は,それぞれの独自性を極度に薄められつつ国家的な枠のなかに包摂されていった。この点では,今日までエスニック集団の基層文化が根強く残っている西ヨーロッパとは対照的である。それを考えると日本民族がもと一民族だったとか,日本が一民族・一人種・一国民だという俗説をまったくの笑い話として斥けるのは慎むべきかもしれない。西ヨーロッパで国民経済が確立したのは17〜18世紀であり,日本ではすでに17世紀前半に,封建制のもとに国民経済統一が達成されていた。日本が制度的に封建国家から近代的な国民国家になったのは明治以降であり,このころから庶民の間にも民族としての一体感が定着するようになった。このように見てくると,日本民族の形成を7〜8世紀とし,それが近代的に脱皮したのは明治期であると見ることができるであろう。

【国民国家の矛盾と民族問題とのかかわり】国民国家とそれに伴う民族の形成は輝かしい未来を約束されていたし,現在の世界秩序は国民国家によって支えられている。多くの人々は,民族として融合された数多くのエスニック集団は,遠い将来のことではあろうがいずれは解体され消滅するかもしれないと考えている。社会科学者も,工業・コミュニケーション・ビューロクラシーの発達及び中央集権の整備・強化によって,さまざまなエスニック集団の存在は弱体化するであろうと考えた。一部の社会科学者によれば,社会主義体制の実現を通して,現存の民族と諸々のエスニック集団は解体・解消の歩みを速めるはずであった。しかしこれら一連の見解はどれも本質的にエスニック集団の特性を見誤っていた。現在世界にある国家の数は132(1971)であり,均質な一つのエスニック集団から成る国は12にすぎず,53カ国は五つ以上のエスニック集団から成っている。この現状から見ても,第一次世界大戦後の大国中心の「民族自決」と一民族一国家という政治的スローガンの空しさを改めて確認せざるを得ない。さらに現状を国家別に見れば,国家に包み込まれて民族としての統一性を保持していると見られた多くの国々において,「少数民族」と呼ばれるエスニック集団が国家との間に紛争を繰り返し,そのなかには分権主義に基づく運動を進めるものもある。イギリス内部のウエールズ及びスコットランドにおけるケルト系住民,フランス内部のブリュターニュにおけるケルト系住民,カナダのケベックにおけるフランス系住民,ソ連のユダヤ人などは,時には過激な手段に訴えるほどの緊張を高めている。それらの運動は分離独立運動ではない場合が多く,「中心」に対する「周辺」,及び「支配」に対する「従属」をめぐる抵抗である。しかしその底流にあるのは,経済格差や政治的不平等の解消にとどまらず,集団アイデンティティの確認を求めることであり,原初的なエスニックな「文化」の主張である。これらは従来の民族主義や部族主義,または領土ナショナリズムとは別の次元のエスニックなナショナリズムである。さらにクルド族やパレスタイン人の例に示されるように,問題解決の鍵は単独の国民国家の手中にはなく,国民国家の枠をはるかに超えている。国民国家の虚構と,そこから形成された統一体としての民族の虚構は明らかである。現にアジア・アフリカ・中南米の第三世界では,西ヨーロッパ型の民族形成とは違う別の新しい道が模索され,試行錯誤が積み重ねられている。これを西ヨーロッパ型のモデルに基づいて後進的だとして割り切るのは,国民国家と民族の虚構を改めようとする新しい動きに目を閉じていることである。民族が国民国家をつくったという見解が否定されたのは古いが,エスニック集団が本質的には現代社会における過去の遺物であるとか,いずれは消滅する過渡的な存在であるという見解は依然として強い。他方,世界は虚構としての国民国家と民族を軸として動いている。そうしたなかで,原初的なエスニシティを活性化する道を見出すのは大変に困難なことであるに違いない。

〔参考文献〕新明正道『史的民族理論』新明正道著作集・第八巻,1980,誠信書房

N. グレイザー及び D. P. モイニハン編,内山秀夫訳『民族とアイデンティティ』1984,三嶺書房

R. スタベンハーゲン,青木芳夫訳「エスニック問題と社会科学」岩波書店編集部編『現代世界の危機と未来への展望』所収,1984,岩波書店