●民社党 みんしゃとう
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結成時は民主社会党。1960年(昭和35)1月24日,社会党を離脱した西尾末広派が全労系労組(現・同盟系)など各界の人々を結集してつくった政党。民主社会主義を標榜し,階級政党を否定し広く国民勤労大衆を基盤とする国民政党をめざす。左右両派統一後の日本社会党で西尾は現実主義の政治論を展開していたが,階級性の確立と反米親中共(現・中国)を唱える左派青年党員たちの反発を受け除名運動の対象となった。結局西尾は離脱し新党を結成。結党時,衆参両院あわせて53名を数え民社ブームをおこした。同年の安保議会では日米安全保障条約の段階的解消を主張し,一応改定反対の立場をとったが左右激突の論争や運動のなかでは印象が薄く,保守第三党という非難とともに国民の好意と期待は薄れていった。11月の総選挙で現有40名の勢力から17名と大幅に減少し深刻な打撃を与えた。1963年の総選挙で23名まで回復したが以後低落傾向となった。1976年12月の総選挙以後は順調に議席をのばし,1980年の同時選挙では衆院32名,参院計12名となった。委員長は西尾末広・西村栄一・春日一幸・佐々木良作と続いて現在は塚本三郎。1981年党大会では,現行憲法が国家の独立と自衛権の保持を否定しておらず,今やこの考えは国民的合意に達しつつあるとして自衛隊合憲論を打ち出した。1979年公明党との間に連合政権に関する合意文書を発表したが,党員のなかには公明党=創価学会の体質に反発する者も多く順調な関係とは言えない。1983年6月初の参院比例代表区選挙では党綱領起草者・前民社研議長の関嘉彦が当選。月刊誌「革新」「週刊民社」を発行していた。