●民家 みんか
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公家や武家など支配階級に属さない一般庶民の住宅の総称。ただし江戸時代の武士の住宅でもその形式が農家とあまり違いのないものや、大正・昭和時代に建てられ、一部洋風装飾の要素を採り入れたが、間取りや構造において伝統的な様式を継承した町家も民家に含める場合が多い。民家ということばは、もともと被支配者の住宅に対して卑下する意味で使われたのが始まりだが、大正から昭和初期にかけて民芸・民具・民話などとともに、民衆芸術の見直しと滅びつつあった農家や町家の伝統的な様式への郷愁が込められて普及したと言える。民家は基本的には庶民の生活空間であり、それぞれの住居の実用性と機能性に深いかかわりをもち、また地方ごとの環境条件に制約を多く受ける。それが民家に地方色豊かで多様な美と様式を生み出させる大きな要因となった。しかし大正初期の生活近代化の波によって使用材料と様式における地方的特色が急激に失われた。そうしたなかで今日まで日本各地に現存する民家は17世紀以降のものが大部分を占め、重要文化財として保存される民家も数多い。棟札(むなふだ)などによって建築年代が明確になっている民家で最古のものは、1607年(慶長12)の奈良県五条市の栗山家住宅である。
【間取り】日本民家の内部は、下足のまま出入りする土間部分と履き物を脱いであがる床上部分に分けられ、床上部分はふつう居間・寝間・客間の三室で構成される。間取りで最も基本的なタイプは、床上部分が広い居間と寝間・客間の三室だけから成る「三室広間型」と居間を前後二室に分け田の字型に配置された「四間取(よつまどり)型」または「田の字型」と呼ばれるものの二つである。土間は「にわ」「ろじ」などと呼ばれ農作業と炊事を行う場であり、カマド・流し・風呂場・馬屋などが設けられる。京都や奈良の町家では表から裏まで通り抜けられる通路兼用の土間があり、「通り土間」「通り庭」などと呼ばれる。土間の広さは一般的に平地の農家では大きく、山村の農家では狭いとされている。土間を床上部分と別棟にしてつくる形式もあり、「別棟(べつむね)型」とか「分棟(ぶんとう)型」と呼ばれる。この形式は南西諸島・伊豆諸島・東海地方・千葉県など南日本と太平洋沿岸の黒潮流域に分布し、東南アジアなど南方系民家との共通性が指摘されている。居間は「おえ」「じょうい」などと呼ばれ食事と団らんの場である。上手には神棚・仏壇などが飾られ、土間との境に大黒柱が立つ。居間は構造的にも精神的にも民家の中心としての象徴的役割を果たしている。また、客間は「でい」「おもて」「ざしき」などと呼ばれ、婚礼・葬式・法事などの特別な集まりに使われる部屋である。古いタイプの客間は床の間や天井のない簡素なものであったが、時代が下るにつれて武士の住宅様式に影響され、書院造りの手法である床の間・違い棚・付書院・長押(なげし)・欄間などが導入されるようになる。以上の三室のほかに、都市や宿駅の町家では道路に面した部屋を「みせ」と呼び、店舗や作業場として使用される。都市の町家は二階建てが多く、二階に客座敷や寝間・物置きなどが設けられる。武士の住宅は農家や町家の間取りとは異なり、接客用の空間に重きをおき、出入口も日常のものとは別の式台玄関が必ず設置される。
【屋根形式】民家の外観は屋根の美しさに負うところが多い。それは屋根を覆っている材料とその形式が家の種類や格式を代弁する重要な要素だからである。日本民家の屋根葺き材料は、大別すると草葺き・板葺き・瓦葺きの三種に分けられる。草葺きあるいは茅葺きの民家は一般的に農村地帯に多く分布し、「くさや」「くずや」などと呼ばれる。使用材料はその土地で入手しやすい、ススキ・オギ・ヨシ・マコモ・稲藁・麦藁などが多い。板葺きの民家は山岳地帯や宿駅・都市に多く、クリ・サワラ・ヒバ・スギなどの耐久性ある材木が用いられる。板の押さえ方は、板を一枚一枚竹釘で止める方式とただ重ねて丸太や玉石を上に置くだけの方式があり、後者の方が一般的である。瓦葺きの民家は、江戸中期まで丸瓦と平瓦を交互に組み合わせた本瓦葺きしかなく、関西地方を中心に分布するだけであったが、軽便な桟瓦葺き(さんがわらぶき)が発明されてから全国的に普及した。以上の三種類の屋根葺き材料のほかに石の特産地に近い地方では石材が用いられ、大谷石を桟瓦の形に割ったものや天然スレート・鉄平石を用いたものなどがある。民家の屋根の基本的形式は、方形(ほうぎょう)・寄棟(よせむね)・入母屋(いりもや)・切妻(きりづま)・半切妻(かぶと造り・袴腰とも呼ばれる)の五種類で、草葺きには寄棟と入母屋、板葺き・瓦葺きには切妻が一般的である。草葺き屋根の形式は最も多彩であり、二つ以上の屋根を複合させて L型・コ型・□型などの平面形にした曲屋(まがりや)・角屋(つのや)・中門造り・くど造り・撞木造(しゅもくづく)りなどがある。屋根の勾配は、概して草葺きは急で、板葺き・瓦葺きは緩くつくるが、積雪の多い地方の草葺きをとりわけ急勾配にする。屋根の棟部分を飾り、その民家の格式や地域性を象徴する棟飾りは、本来棟の雨仕舞や強風に飛ばされない工夫などの機能的要求から生じたのであるが、しだいに装飾化の傾向へ発展した。芝土を載せただけの簡素なもの(関東・東北地方の太平洋岸地域)から本棟造り民家の屋根を飾る「雀おどり」または「雀おどし」と呼ばれるもの(長野県松本平地域)など地方独特の棟飾りがある。
【構造】屋根を支える三角形の骨組みを小屋組みと呼び、日本の民家はこの小屋組みによってサス組みと和小屋の2種類に大別される。一般に草葺きはサス組み、板葺き・瓦葺きは和小屋で構成される。サス組みは本来合掌またはサスと呼ばれる丸太を斜めに組んで、棟木と母屋桁(もやげた)を支える方式であるが、なかには束(つか・オダチともいう)を立てて棟木と母屋桁を支える合掌と束併用のサス組も多く見られる。合掌を用いずに束で棟木を支え、そこからタルキ※注1※をさしかけその上に屋根を葺く地方もある。一方、和小屋は社寺など日本建築一般に用いられる小屋組みで、梁の上に束を立てて棟木と母屋桁を支え、その上にタルキ※注1※を並べるものである。日本民家における室内意匠のすばらしさは、太い梁と柱が織りなす土間空間の構造美で代表される。民家の土間や広間は囲炉裏やカマドの煙を排出するために天井を張らないのがふつうである。そのために太くて曲がり具合のよい梁が二重三重に折り重なり、柱に力を伝えている様子がすべて見え、土間や居間空間の合理的な美が表現されるようになったと言える。こうした梁や柱には使い場所に従って固有の名称があり、牛梁・うまや梁・きゃくろ・大黒柱・えびす柱・長者柱などと呼ばれる。とりわけ土間と床上部分との境にたつ大黒柱は荷重が集中する中央部分を支えるという構造的要求から家格や富の象徴としての意味に広がり、しだいに破格の太さになって行った。民家の壁は、基本的に土壁と板壁の二種類であるが、雪の多い地域には茅葺き壁、南方地域ではアシの茎などで編んだ網代(あじろ)壁なども見られる。民家の壁でとくに装飾性豊かに発展して行ったのは、防火用の土蔵造りのものである。たとえば、黒漆喰の磨き仕上げを施した川越の土蔵造り町家や平瓦を張りつける「なまこ壁」で壁面を飾る倉敷や伊豆半島の民家は、際立った特色をもつ。
【付属屋】農家には主屋のほか、倉・納屋・作業小屋・薪小屋・馬小屋・便所・風呂場などが別棟につくられ敷地内に配置される。また、名主など上層の家格を象徴する門が建てられる。農家の倉は一般に土蔵が多いが、地域によって板倉もあり、せいろう倉(長野県)・あしあげ倉(伊豆諸島)・高倉(南西諸島)のような特色ある形式もある。町家の倉は防火の必要性から土蔵造りが多く、店舗と並列して配され店の顔として装飾化された袖倉(そでぐら)がある。民家の門には、納屋兼用の長屋門・四脚門・薬医門・冠木門(かぶき)などの形式があり、家格に見合うものが採用される。
〔参考文献〕伊藤ていじ『民家は生きてきた』1963、美術出版社
大河直躬『日本の民家』1962、社会思想社
杉本尚次『日本民家の研究』1969、ミネルヴァ書房
