●弥勒信仰 みろくしんこう
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【弥勒信仰の発生】弥勒信仰は,弥勒三部経による弥勒仏菩薩を中心とした信仰である。この弥勒三部経とは,『仏説弥勒菩薩上生兜率天』と,『仏説弥勒下生経』『仏説弥勒下生成仏経』をさす。成仏経は260年ころに成立し,下生(げしょう)経は4世紀末,上生(じょうしょう)経はそれよりも少し遅れて成立した。上生経による弥勒信仰を上生信仰と言い,成仏教と下生経による信仰を下生信仰と言う。上生信仰は,死後兜率天(とうてつてん)に往生し,弥勒菩薩の傍で五十六億余年を過ごし,やがて弥勒菩薩が下生するときに弥勒に従って再び地上に戻り,弥勒仏の三会説法の初会説法に参加するという信仰である。下生信仰は,弥勒菩薩が釈迦滅死56億7,000万年後,兜率天の寿命を全うしたとき,天からわれわれが住む閻浄提である地上に降りてきて婆羅門の娘梵摩波提に托生し,やがて弥勒は仏となり竜華(りゅうげ)樹下で,三回にわたり因縁のある人々に説法をするという信仰である。この三回の説法を竜華三会と言う。われわれは不幸にも末法世に生を受けたため釈迦の説法を聞くことができたが,その化度に直接接することができなかった。このためわれわれは弥勒を信じ修行し善根をかさね,竜華三会の説法に参加することによって救援を受けなければならないという信仰である。これを三会値遇とも言う。経典の内容から見れば,弥勒は先に兜率天に上昇しその次に地上に下生するとされているので,上生経が下生経よりも早く成立したように思い勝ちであるが,すでに述べたように未来に竜華三会を期待する下生が先に成立し,その後に上生信仰が成立したのである。つまり,下生信仰だけでは,われわれの生命は限りがありかつ短いため,弥勒が下生するまで待てず,そして竜華三会に参加できない可能性が生じる。このため,死後兜率天に昇りここで弥勒菩薩と一緒に過ごし,弥勒に従って下生し竜華三会に参加するという上生信仰が,下生信仰を補うように成立したのである。結局,上生信仰と下生信仰の関係は,下生経による弥勒信仰の不備な点を再び補充整理したのが上生信仰と言えるであろう。【日本の弥勒信仰】弥勒信仰の発展・展開は,末法思想をその背景としている。ここに,当来仏(未来仏)としての弥勒信仰が成立するのである。弥勒信仰の伝来は,インドから中国へ,中国から朝鮮半島,朝鮮半島の百済から日本へと伝来された。日本における弥勒信仰は上生信仰がまず発達し,次に下生信仰が発達した。上生信仰は奈良時代貴族信仰として発達し,下生信仰は民衆信仰に展開発展した。このような事情は,中国・韓国でもほぼ同じである。上生信仰は,律令制度下の律令社会の思想的基底を築きもした。これは,上生信仰が儒教思想の礼とそれに通じる戒を重視する点において,鎮護国家仏教としての望ましい信仰と考えられたためである。これを儒教の立場から見れば仏教を統制したことになり,仏教の立場から見れば上生信仰が戒律護持を強調したと言える。下生信仰は末法思想と深い関係をもつ。すなわち,弥勒が未来世に下生するというその時期を末法時代とし,このような末法思想と下生信仰が結びついた歴史的事実が多い。そしてこのような末法思想と結びついた下生信仰は,民間信仰的要素を多くもって展開された。今日,日本において仏教寺院とは関係なく民間に流布されている“ミロク”信仰はこれと同じ信仰形態である。弥勒下生信仰が民間信仰化しているのは,中国・韓国の場合と同じである。弥勒信仰は阿弥陀信仰の発達に従い大きく衰退する。中国における道綽の『安楽集』や,懐感の『釈浄土群疑論』などは,弥勒信仰に対する阿弥陀信仰の優位を主張するための著書である。日本では鎌倉時代以後,阿弥陀浄土教が盛行するに従い弥勒信仰が大きく衰退し,ただ民間信仰としてのみ今日に伝えられている。弥勒信仰の伝説が寺院を中心として伝承されている国は韓国だけである。韓国の寺院には弥勒殿などに弥勒仏を奉安し,弥勒信仰を行っている。中国の弥勒信仰は布袋(ほてい)和尚信仰に変容し今日に伝えられている。このように,日本・中国・韓国三国の弥勒信仰は,それぞれ異なった展開を見せている。
〔参考文献〕『大正新脩大蔵経』差14[2]
金三龍『韓国弥勒信仰の研究』1984,教育出版センター
速水侑『弥勒信仰』
平岡定海『日本弥勒浄土思想の展開』